2025.10.10
やっとやっと涼しくなりました。待望の秋です。
秋といえば運動会、はお決まりのようでいて、最近は5月になることも多いですね。うちの子達の小学校では、途中で5月になりました。もともと秋だったものが、大きな行事が入った年に一時的なつもりで時期を移したら、とてもスムーズに行ったんだそうです。以降は5月に定着しました。そんな内部事情をどうして知っているかと言うと、どこにでも人脈を伸ばしまくる夫が、先生との立ち話で仕入れてきました。5月末というと、場合によっては梅雨っぽくもなってしまうので延期も多かったと記憶しています。
私にとっての子育ては、自身の過去の追体験も大きな意味を持っています。昭和の文化大好きなので。でも、最近、テレビで昭和歌謡の番組がやたら多いのには食傷してます。幸いなことに、そこそこ幸福な子ども時代を過ごしました。外では嫌なことも人並み以上にあったと思うのですが、家に帰れば、たくさんの本と大好きな毛糸があって、ぬくぬくと豊かな時間が過ごせたので。だから、運動会は10月であってほしい。私の記憶の中と同じに。正確にいうと、9月の最終日曜ですが、まあ、誤差です。
10月の第1週末は、地元の神社の祭礼で、子どもは獅子を持って練り歩かなければならなかったので、それはそれで重要。土曜日、いわゆる半ドンで学校から戻って、午後は獅子舞。日曜日は一日獅子舞。翌日からそのまま、また1週間。すごい体力だったな、子どもの私。それだけ頑張るとお捻りもたくさんもらえるので、日曜日の夕方には家で、母には買ってもらえない駄菓子を食べてました。
運動神経は壊滅的ですが、行事は嫌いではないので、運動会は嬉しかったです。低学年の頃は、祖母が存命で、姉も同じ学校にいて、重箱に入ったお弁当をみんなで囲んで食べるのが楽しみでした。祖母が他界し、姉が卒業した後は、両親と3人でそれぞれのお弁当を食べるという形になって、何か別の行事になってしまった感がありました。
昨年度から、私の年中行事に幼稚園の運動会が加わったことで、久しぶりに運動会のある日々が戻ってきました。準備して、天気予報にやきもきして。甘酸っぱく追憶に浸ろうと思ったら、とんでもなく甘かった。準備が大変だったり、うまく競技に参加できない子がいたり、種目について保護者さんからのクレームが入ったり。こんなことまで準備しなきゃいけないんだとか、運動会用にこんなものまであるんだとか、今まで私は何も知らなかったんだと実感しました。
そもそも、当日朝の集合時間が7時です。私などは家から歩いて10分ですが、遠方から電車で通勤される方は何時に出てくるのでしょう。そこから当日の準備、始まってからも、何があるかわからないので、気を抜けない。多分、現場にとっては日常茶飯だと思うんですが、新参者にはすべてが予想の斜め上。観覧席の兄との兄弟喧嘩で怪我とかは、まだ良い方。婿と姑のいざこざは、家でやれ。私の追憶を返せ。そして、運動会の花(と勝手に私が思っている)お弁当は、私ども職員は仕出弁当です。
子ども達は、ありません。
というのも、コロナ禍での縮小以来、運動会は半日になっているからです。遅くても11時半には全て終わります。これも、冒頭の「やってみたらこっちの方がよかった」のパターンで、年々暑くなっているので、半日くらいがちょうど良いとわかったんですね。幼児の体力を考えても。
思い出の中の運動会は、幼稚園から小中高、それぞれに違っていて、均等に思い出されて然るべき、なのに、なぜか田んぼの中に立っていた小学校のそれを思い出します。夕焼けや赤とんぼや青みかんと一緒に。それとも、本当の思い出じゃなくて、昭和の秋のイメージが強化されているのかしら。今の私の現実は、思い出の中よりも、ハードでドライ。
終わってから、帰っていく子達を見送りながら、この日が彼らの中で、しっとりとした思い出になってくれますように、と思います。うーん、ちょっと小さいかな。忘れちゃうかな。
せめて、ご家族の心の中では。私がそうであるように。
子ども達の運動会、今も私は鮮やかに思い出せます。でもそれは、きっと臨場感溢れる写真が残っているおかげもあって。
如何ともし難い男だったけど、写真家と結婚して良かったのはそれですね。