2025.06.10
 大学の教員と附属幼稚園の園長の兼任も2年目に入りました。冷静に考えてみると、大変なことだらけだし、今も朝起きると、あー、未解決の問題がまだこんなにあるとか、またこの関連の苦情来るかな、と思ったりして、家を出る足取りが重いんだけどな。いざ、出勤してみると、子どもの元気に押し流されて、結局一日楽しく過ごしてしまう。始末書を書いている最中でも、「せんせー」と声をかけられたら、「はあい」って笑っちゃうし、一度笑うと、その笑顔をしばらく貼り付けてるので、笑いながら始末書書いてる。多分、提出先が見たら怒る。反省してないだろって。はい、してません。昨年度だけで何枚書いたか知らんが、半分くらいは「え、こんなことで書かせます?」って思ってるので。今年度に入って、一枚も書いてない自分を褒めてやりたいです。
 やはりしんどいのは保護者の皆さんとの交流で、日々、楽しく立ち話とかしてる分には良いのですが、発達に不安のあるお子さんで、保護者さんにその自覚がないケースを、どのように啓発するかは本当に頭の痛いところです。アスペ・エルデの会に来られる方は、ちゃんとお子さんを見ておられるのだと、痛感させられました。
 そんな私に救いの手を差し伸べてくださったのが宮地泰士先生です。この度「発達が気になる幼児が療育センターを受診するとき」を上梓されました。辻井先生からの情報で、速攻Amazonポチりました。

 私の実感としては、受診に至っても、「問題なし」で済んで、検査もしないし、継続してみてもらえないことが結構あるので驚いています。何をするのかわからないので、目が離せない子で、実際にフリーの教員が一人つきっきりというケースで。「この程度なら問題ないのでは」とか「療育を勧めた園長を疑ってる」との伝言を受けたこともあります。この件に関しては、直接言われたわけではないので、間に意図的な憶測が入っている可能性は高いことはお断りしておきます。
 子どもの診断を受け入れられない要因は、「認めたくない」の他にも「私は特に困ってない」があると思います。多角経営とはいえ、根っこは心理屋の堀田ですので、普通に使っていた「困り感」という単語が保育の現場では通じないことは意外でした。そして、この単語は何らかの問題を持ったお子さんに向き合うときに、とても便利です。
 以前、会でもお世話になったお医者さまとシンポジウムでご一緒しました。そのときに、ご自身が担当される患児さんの学校を自腹で訪問する(燃料費なしで、ということです。おそらく、ばかにならない燃料費をお使いかと思います)というお話をされました。学校の現場に行かないと、その子の「困り感」がわからないからです。
 自宅では、なかなか困らない。いや、困るんですよ。でも、子どもってこういうものかなで済んでしまう。診察室でも、それほど困らない。そりゃ、入りたがらない、ずっと泣いてる、おしっこする(まあ、例としてこれが出てきたのは、今日、二人の女の子がいきなり、教室前でおしっこしたからです。ここのところ、問題行動が多かった子がいきなり、なんですが、目的がわからない。二人目は、誘われてついやってしまったようです。なんで?)、といった問題行動があれば別ですが、そうそう困った事態にはならない。集団の中で、一緒にできなかったり、飛び出したり、誰かのものを取ってしまったりが出てくる。なるほど、診察室だけではわからない、は正論です。
 さらには、うちの園の場合、併設の小学校への推薦もあるから、大変です。推薦を出すための面接にあたって、本人の希望なのか、確認するんですよね。はっきり言って、んなわけないですよ。この学校に行きたいとか、幼児が考えますかいな。お姉ちゃんがいるから行きたい、くらいかな、納得いくの。でも、昨年は全員がイエスと答えました。希望するのは大部分が親。その中にはグレーな子もいる。もう少し考えてください、をあちらは排除だと考えがちです。でも、少なくとも私の問いかけは、そこで本人が幸せになれると思いますか、です。試験を通過した女児の中で、周囲の空気を読みながら、さまざまなジャンルのことを、器用にこなせると思いますか。
 親としては、親が困るまでは困ったことにならないことも多いです。本当は、子供は困っているかもしれない。でも、親が困るまでは、障害ある子の親になることを先延ばしにできてしまいます。子どもの困り感を掬い上げるのには、「えいっ」と思いきる勇気が必要なのかもしれません。
 あとね、この現場に来ないとわからなかったこととして、子どもが療育を受けることに反対する先生もいるんだねってのがあります。なんでなんだろう、と思ったけど、こういうことかなっていうのは、見つけました。グレーなお子さんを「この子は大丈夫、発達障害とかないから」と言えば、その親にとっては神になれるんだなあ。
 もちろん、私は賛成しない、そのやり方。だって、親は幸福になれても、当事者である子どもはそうじゃないもの。当たり前だけど。



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