2025.05.10
前回、卒園式の話をしました。実は、我が家にも卒業生がいました。27歳の長男が大学を。ストレートで行けば22歳ですよね。5年の寄り道の内訳は、浪人2年、休学2年、留年1年です。デザイン科ということで、ギリ美大扱い、即ち留年は美学。ということにしましょうか。
つまり大学に在籍したのは合計7年です。7年て長いです。高1の3学期に鬱を発症して、どうにか高校を卒業しました。2浪して工学関係を目指しましたが、どこも通らず。そうですよね。高2と高3、まともに授業を受けてないんです。それでも2年目には結構いいとこの公立大学、成績開示で合格まであと5点のところに行ったのはたいしたものだと思っています。最終的には筆記試験とデッサンの実技で私大の後期入試に合格しました。1年目は、かなり普通に通っていました。サークルにも入ってたり。2年目もその調子で行けそうだと思っていたのに、前期の途中でぱったり行けなくなりました。後期は休学。半年で復学したものの、同じパターンです。3年目は普通に行けて、4年目の前期にずっと普通に通っていたにも関わらず、試験を全て受けられないという事態に。当然、取得単位は‥とりあえず、ゼロではありませんでした。通常点で通してくださった先生もいらっしゃったので。後期から、思い切って1年休学したんですが、この期間に父親を亡くします。それまで、父親の手前、大学は卒業しないと、というのがありました。だから、もういいんじゃない、と私は思ったんですよ。大学辞めていいよって言いました。本人もそう思ってたって、退学届をもらいに行きました。
思えば3人の子どものうち、進路に関しては一番手がかからなかったのが、次男かもしれません。選択の幅が狭かったから。高校に入ったときに就活の話をされて、そうか、兄が大学を選択しようというときに、この子は仕事を考えなければいけないんだ、と身の引き締まる思いになりました。でも、彼の場合は高2の職業研修で行った先で、1年待つからうちに来ないかとスカウトされて、就活終わってしまったので。
それが、通っていた学校から歩けるとこ。高等部に入学してから10年以上、同じ駅から歩いて通っています。途中、駅の名前は変わりましたが。言い聞かせたら混乱することなく、改名初日からすんなり行けました。研修のときからずっとお世話になっているジョブコーチさんの退職という危機が、半年後に迫っていますが、当面は安泰です。
長男も、手帳を取って、公的な援助を受けてじっくり仕事を探せば良い、と思いました。が、彼は大学から復学願いを持って帰ってきました。彼が1年生でお世話になった指導の先生は、彼の病状に理解を持っていました。入学時には指導教員は多くの大学でランダムに決められますから、これが彼の運を決めたのだと思います。初年度に、彼の休学の原因になった高圧的な先生に当たっていたら、もっと早くに退学していたでしょう。彼の恩師はこうおっしゃったそうです。今の君ならできるんじゃないか。
5年目の後期から復学。でも、ここで留年という事態に。
しかし、これが彼の命運を左右してもいたのです。自分よりも5つ年下がメインの、この学年と彼の相性が良かった。普通に一緒にランチに行ったり、飲みに行ったりするようになりました。学校にも普通に行きました。私は、彼が休んだ日をエクセルに記録して、失格になった科目を数えて卒業までに単位を取れるかどうか、ずっと観測していたのですが、最後の年には途中でやめました。そんなことしなくても、失格の心配はしなくて良くなったからです。卒業制作は、周囲の人と一緒に絵を描きながらコミュニケーションをして、それを記録したものでした。
あとは卒業するだけ、となって、私も卒業式には行くつもりでいました。お世話になった先生方にご挨拶をしたかったんです。だって、7年かけて卒業した学生に、先生たちがどんな反応するか、自分がよく知ってるもの。というか、6年過ぎたら、正直のところ、こいつ退学すんだろ、と思います。
今まで、大学生にもなったら、親は関係ないと思っていました。うちの大学は、入試にも式典にも、親の待合室を準備しますが、それは過保護な一部の人たちのためであって、私はそちらには行かない。でも、今回ばかりは。
そこで、普通に友達から、
「マナティ、荷物持ってよ」
と言われたりする長男を目の当たりにしました。あんなに、他人を怖がっていたのに、なんだ、普通の人間なんじゃないか、この人は。
その一週間後には、普通に2泊3日の卒業旅行に行きました。
普通ってこんなにありがたいんだ。
その後、就労移行支援の事務所に通っています。これは、普通ではないかな。でも、大学最後の学年ほどの安定感ないとはいえ、それほど休むことなく、通えています。
彼が生活を改善させることができたのは、実は父親の不在も関係しているのでは、と思います。よく言えば、自覚と責任感が芽生えた。
悪く言えば、妙な健康法でうつを克服しようとしたり、強引に断薬させたり、勝手に進路を指定したりがなくなった。
我が家の子ども達は、父の不在に対して、クールです。それを批判的に見る人もいます。外面良かったからね。
だけどね。
写真家としての父親へのリスペクトと、父へのどうしようもない哀惜と、被った悪影響を綺麗に分別している彼らのこと、私は偉いと思います。なかなか難しいよ、これ。
情に引きずられたら、碌なことにならんからな。