2025.12.10
夫の祥月命日は11月の末です。4年が経ちました。
夫を失うかもしれないと思っていたときには、いざそうなったときに私はもっと落ち込む予定だったんですけどね。
とても静かに平和に、様々な厄介ごとを背負い込んで、それと戦いながら、4人で生きてきました。そしてまた、一年が終わろうとしています。
大人だけの家庭では、クリスマスと言っても、特にすることはない。娘は県外だし。ケーキと、何か普段より高価な食事は準備する。プレゼントも、欲しいものは自分で買う歳になってるし。逆にこちらにくれたりする。みんな自分で稼ぐようになったんだからと、3人でお金出し合って、長く使える良いものをプレゼントしてくれます。でも、娘が留学した年はありませんでした。誰が指揮取ってるか、よくわかる。
ケーキとサンタさんのクリスマスを懐かしいと思いながら、少々驚いているのが、私の懐かしさの対象が、自分の幼年期ではなく、子ども達のそれになっていることです。本当に私は、お母さんという生き物になったんだと実感しました。
母であったり、妻であったりすることは、社会的なある部分が、とても楽になることもでもあります。生きている意味の免罪符というか。少なくとも、結婚しない、子どもがいない理由を訊かれずに済む。その一方で、激しく否定されることでもあるんですね。私は、母である、妻である前に、一人の人間なのだ、という論調で。これ、ちょっとおかしいと思います。例えば、教員が災害時に、「教師である前に一人の人間なので、職場を放棄して帰宅します」と言うのは大問題です。
前も後ろもなく、私は母であり妻である人だ、とフラットに言えないのは何故だろうと考えると、社会にそれなりの歪みがあるからなのでは、と言う結論に行き着きます。
だから私は、自身の第一義が母親であることに、何の抵抗もありません。
今年は昭和100年にあたるのだそうで、昭和レトロを回顧する風潮が、やたら強調されています。だから、個人的な昭和への郷愁が、これに吸収されてしまったのかもしれません。クリスマスと言ったら、バタークリーム(これも、若い世代にとっては、美味しい高級品なんだから)のケーキ、ボール紙で作った長靴にお菓子が入ったのとか。
私の個人的な経験は、ここにアイスのホールケーキが加わって、それがウェハースで4分の1に区切ってあって、そこで切るようになってて‥共有できる相手なんて、姉しかいない。ノスタルジーとは、共有されてなんぼのもんだと思ってしまう次第です。
つまり平成中期へのノスタルジーは、家庭内に共有できる相手がいると言うだけの話なのかもしれません。とても個人的な、近所にフルーツをメインにした、そりゃもう豪華なケーキがクリスマスにだけ予約制で売ってたなんて話も、家族と共有できるから、思い出として成立するのだと。
私にとって、よりどころが生まれた家であるのは、一生変わらないと思っていました。でも気がつくと、思い出すことすら少なくなっている。夫がもっと長く生きたらどうなっていたのでしょう。群馬に帰省するたび、赤城山を見るとほっとすると言っていましたが。その一方で、お袋が死んだらもう来ないとも。結局、最後の数年、熱海の施設で過ごしたので、群馬には行かなくなりましたが。ずっと同じ地域に住んで、実家まで小一時間で行ける私と、あちこち転々とした夫とでは、故郷への思いも違うのでしょうか。
楽しいと思えばこそ、大人になってからの郷愁が存在すると思います。
成人した3人を見て、それを残してあげられてるかな、と思ったりする。
今、お子さんの幼年期、児童期に寄り添っている方達が、どうか楽しい時間を過ごしてくださいますように。