2021.12.10
 三ヶ月前の私は、普通に忙しい兼業主婦で、娘の文化祭の準備に自分まで張り切ってはしゃぎ回る痛いおばさんでした。
 二ヶ月前の私は、夫がステージWの肺がんであることを知って、一緒にいられる時間に限りがあるから、できるだけ長くそばにいよう、彼の望むことは全部してあげようと思っていました。でも、今はがん治療って通いで日常と付き合いながらするものだって言われて、ゆうても半年くらいの猶予はある、彼が自宅で家族と過ごす時間はある、と思っていました。
 一ヶ月前の私は、初めての抗がん剤治療のために入院した夫と毎日、LINEや電話で楽しく話していました。結構楽だね、これでがん小さくなったら楽勝じゃん、でも、ちょっと食欲ないんだ、それくらいしょうがなくない? てな感じ。
 私は今、シングルマザーです。
 ま、子ども達みんな大きいから、マザーがシングルであることに問題は無い。
 ただ、私が虚で寂しいだけだ。
 出来事のボタンが一つ一つ掛け違えられて、どんどん悪い方に転がってゆく。そんなこともある。それが生き死にを分けることだってあるだろう。そんな話は耳に入ってくる。ニュースを見れば、理不尽に命を奪われる人がいる。
 しかし、そんなものは、「ああ、大変だなあ」と傍観するべき事象なのです。
 私が当事者になるべきものではない。
 私がいとも容易く夫を失って、他者から同情されるべきではないのだ。断じて。
 しかし私はここにこうして未亡人となっているわけで、それが紛れも無い現実です。
 三ヶ月前には、幸せな人妻だったのにね。少なくとも、家族の生き死にに何の不安も無かった。

 発達障害を持つ青年と、その兄弟が、親の死をどう受け止めたのか。
 そして失った親は戻らない、親のいない世界でどう生きるのか。
 しばらく、そのお話をしようと思います。

 一生にたった一度の、父親の喪失という大イベントのオープニングは突然でした。いや、始まりからして余計なドラマのてんこ盛りでした。
 がんの宣告くらい、普通に受けさせろっちゅーんです。
 いや、そもそものシチュエーションからして、我が家は異質でした。
 昨年の3月から5月くらいにかけて、最初の緊急事態宣言があり、一斉休校が始まりました。今思うと、そのときの感染者数は、可愛いものでしたが、お店は休みになり、テレビドラマは作られなくなり、県をまたいだ移動には厳しい目が向けられました。もちろん、多くの職業が制限を受けます。
 夫の職業もそうでした。
 彼は動物写真家です。野生動物が対象です。あまり一般的な職業ではありません。いろいろと誤解されることも多いのですが、ここは置いておきましょう。移動が制限されると、野生動物の写真が撮れません。最初の緊急事態宣言では、ずっと家にいました。仕事がないわけではありません。デスクワークをしないと、撮った写真は収入に結びつきませんから。でも、新しい写真が撮れないのは、彼の精神衛生上よろしくない。
 私は提案しました。当時、彼が追いかけていたのは、北海道の動物です。シマエナガという小さな鳥、それからモモンガ。
「玲さんが、動物を満足いくレベルで追いかけられるのは、そろそろ年齢的に限界だと思うんです。その時期に、こうして家にいるのはもったいなくないですか? よろしければ、向こうにワンルームくらい借りて、拠点を一年くらい移したらどうでしょう。そこで、思う存分撮れば」
 この提案は、とても慎重に準備しました。怒らないで聞いて、とも言いました。
 彼は二十代で二度の離婚を経験しています。どちらも、短期間で一方的に出て行かれました。取材から帰ってきたらいなかったということです。当時は、報道写真家でしたから、取材も海外で長期間が多かったのだと思います。だから、いつも取材が終わって帰宅するのを怖がっていました。もし、家族がいなかったらどうしようと思うんだそうです。見捨てられ不安が強いのです。
 だから、彼の為にと思って提案しても、「僕を追い出したいの?」という解釈をされる可能性もあると思いました。ですが、彼の反応は、
「いいの? あけみちゃん、ありがとう」
 というもので。別に、彼がいなくなっても、私は全然困りませんが、彼にしてみれば、子どもを育てる手が二本減るのは大変でしょ、ということなのでしょう。
 でも、子ども、当時で23歳、21歳、16歳だからなあ。困らんよ。
 車もなくなっちゃうし、不便でしょ、とも言いますが、私は免許を持っていないし、車のない家庭で育ったので、公共交通機関で動くのには慣れています。
 ところが彼は、常に車で移動する人なので、電車やバスを乗り継ぐことを大変な苦労と考えているようでした。
 私の杞憂を他所に、彼は大喜びでワンルームを借りて、網走で暮らし始めました。2020年9月のことです。1年の約束でした。
 私は、もう少し長くてもいいなと思いました。2021年の9月に帰るとなると、長女の大学受験の真っ最中に戻ることになります。ここで、生活のリズムが乱れるのはよろしくないと。夫は、長男・長女と確執を抱えています。
 正確には、長男と長女が抱えています。それは、子ども達にとっては深刻なものでしたが、夫から見ると「子どもってそういうもんじゃない?」「麻疹みたいなもんでしょ」という感じでした。一年不在にしていた夫の帰宅は、長女にとっては大きなストレスになることが予想されます。もう少し、遅らせてもらってもいいんだけどな。
 そこに、大きな仕事が舞い込みます。彼の名を冠したテレビ番組が作られることになりました。その為に、2022年2月までは網走に滞在して取材を続けたいと言われました。2月だったら、私大の入試は終わってるし、なんだかんだ3月上旬くらいまでずれ込むだろうから、ちょうど良いのでは。
 そんな風に家族の形を変えていけるのは、子ども達が成長したから。
 この連載でも、お話ししたことありますよね。
 この最中に、肺がんの診断を受けたんですが。

 二度に渡る誤診がありました。
 いずれも診断名は貧血でした。
 セカンドオピニオンまで間違ってたんじゃしょうがねえや。
 言われたら信じるしかない。
 でも、彼の構ってちゃんが珍しく役に立ちました。
 次回は、その話をします。


BACK NEXT

Copyright(C) 2004,Asperger Society Japan.All Rights Reserved