2022.01.10
 さて、夫の病気はどのように発覚したかという話です。その前に、夫は構ってちゃんでした。承認欲求が異様に強かったと思います。そして、いわゆる「マウントをとる」ことに拘る人でした。これは、今の若い子がよく使う「相手より優位に立つ」といった意味合いの言葉です。ご多分に漏れず、ネット上でよく使われます。この性格、S N Sに向いているというか、向いてないというか。
 その根っこにある、彼の「選民意識」は無視できないと思います。自分は他の人より優れている筈だ、優れているべきだという、根拠のない自信です。名古屋にある私の一人暮らしの部屋に、東京から転がり込んで来て、私達は一緒に生活し始めたのですが、最初の頃、「これだから名古屋は」と、よく口にしては、喧嘩になっていたものです。
 私も彼の心情を汲んであげるべきだったと思いますが、若かったので、大喧嘩に発展することもありました。出て行け、と言ったこともあります。でも、彼は出て行けなかった。行く場所がなかったんです。知ってる人もいない場所でしたから。
 地方の人間が東京デビューするハードルの高さは、経験がなくても、なんとなく想像できますが、逆はなかなかできません。落とし穴です。東京で生きてきた、これが日本のスタンダードだと思っていた人間が、大人になってから地方都市で暮らすことの方が、ショックが大きかったりするのです。日本のどこにでも通用するはずの東京もんなのに、言葉がわからなかったり、出てくる食べ物に馴染みがなかったりするんですもの。そのストレスは大きかったと思います。
 だから、私より優位に立つことで精神の安定を保とうとして、ぶつかっていたんでしょう。
 夫は私とは再々婚です。前の二人の方とは、酒が原因で別れたというのが、定番の理由になっていますが、私は違うと思います。酒が入らなくても、彼は厄介です。自分もマウント取りたいタイプの女性では、素面でも上手く行かないと思います。

 構ってちゃんなので、彼はブログ・ツイッター・フェイスブックと、自分を発信できることには次々手を出して行きました。可愛い写真が武器になり、フォロワーはすぐにつきます。その一部は「信者」と呼ばれる、彼の言うことを過剰に持ち上げる人達でした。彼も、誰かの信者になりやすい人なのでお互い様です。でも、攻撃的で自己中心な物言いで、多くの敵も作りました。5ちゃんねる(最近までは2ちゃんねるでしたね)にアンチスレと呼ばれる、ひたすら悪口を書き込むスレッドが立てられました。
 既に言い古された言葉ですが、ネットというのは、恐ろしいものです。簡単に味方を作ることができます。例えば、息子が発達障害だと言えば、「ガイジ(ネットスラングで「障害児」を指します)の親が偉そうな口きくな」といった不快な反応も来ますが、「うちの子もそうです」「私の知人が」といった仲間が集まって、リアルよりも緊密な関係を短時間で形作ってしまうのです。望む望まないに関わらず。
 一定数のフォロワーがいれば、投稿するごとに誰かが構ってくれます。承認欲求の強い彼には、恰好の玩具だったと思います。
 選民意識の強い彼は、自分は他人とは違うと、そういう場で示したがる人でした。いわゆる「逆張り」というやつです。陰謀論も大好きです。でも、昨今ですと、それが「コロナなんか只の風邪」「ワクチンは有害」なんて方向に行くんですね。
 彼の「俺ちょっと違うぜ」は、ダイエットに関する話題で発揮されました。
 診断は出ていませんが、彼はADHDです。行動を見ていれば、誰だってそう思うでしょう。大分で取材してた筈なのに、礼文島から電話がかかってくるんですよ。どうしてそんなことになってるのかと訊くと、
「だって、雨降ってたんだもん」
 九州は雨が降っていた。おそらくは、雨が続く。
 そうなると、写真が撮れない。仕事にならない。時間がもったいない。
 そうだ、礼文島は晴れている。礼文島に行こう。写真が撮れるぞ。
 この発想、普通じゃないでしょ。
 何においても、セルフコントロールが効かないのです。
 初めて会ったときには、ヘビースモーカーの大酒飲みで、それも絡み酒だったので、電話が来ても出ないようにしていたくらい、苦手でした。断酒してから、交際0日で結婚を決めています。タバコも、次男が喉が弱いとわかってから、すっぱりやめました。なんでも、とことん摂るか、きっぱりやめるか。中庸がないのです。
 太っているのも彼の特徴で、これは体質的なものだと思います。三人の兄妹全員が100キロを超えています。夫の場合は、100キロが通常仕様でした。
 何年かに一度、過激なダイエットをします。40キロほど急激に落とします。それが徐々にリバウンドして、また過激なダイエット。体にいいわけない、と何度も言いました。けれど、他にやりようがない、というのが答えでした。食べないなら、徹底的に食べないようにします。少し甘いものを減らすとか、少し炭水化物を減らすということができないのです。だったら、太ったままでもいいんですよ。というと、ダイエットモードに入った彼は、それは駄目だ、というのでした。
「太ってる人で、長生きしてる人、いないよ」
 いるけど。でも、例を挙げても無駄です。聞く耳を持っていないから。
「健康の為だから」
 そう言って彼は、断食したり、同じものばかり食べたりしました。
 令和が始まった時から、彼は糖質を一切とらない「断糖」をしていました。炭水化物だけではありません。野菜も果物も駄目です。牛乳にも糖質が含まれているそうです。だから、お肉と卵と、大量のサプリで生きていました。もちろん、体重はすぐに20キロくらい減りました。
 それが人間にとって、最高の食事だと彼は言っていました。何十冊も本を読み、暇があればスマホでその話題を追いかけ、口を開けば、糖質がいかに体に悪いかの話でした。もちろん、家族と一緒に食事はできません。みんなとは別に、炒めた豚バラと卵とチーズを食べていました。
「別に、他のもの、食べたくならないからなあ、不思議なくらいに。体調もいいし、なんの不自由も無いよ」
 だから、私達もそうするべきだと主張しました。
「一緒に健康に長生きしよう」
「美味しいもの食べられないなら、長生きしなくて結構です」
 それを巡って、喧嘩もしました。
 長男は、高一からずっと鬱です。大学には二浪の末に合格しましたが、何度も休学しています。それも、糖質のせいなので、糖質を断って抗うつ剤をやめてサプリを飲めば、すぐに治るとのことでした。
 一度、彼には炭水化物も薬もやめさせました。私は「糖質を子どもに与える人殺し」と罵られ、台所に入れなくなりました。長男は、立ち上がることも困難なほど衰弱しました。でも、学校には行けるようになりました。家で父親と一緒にいるのが怖かったからです。お弁当は、焼いた肉と、ナッツを散らしたサラダだけでした。部屋で泣き続ける彼に、夫は言いました。
「辛いだろう。それは、効果が出て来た証拠だよ。この段階を超えたら、嘘のように楽になるから。本にもネットにも、そう書いてある」
 でも、そうなる前に夫は長期の取材に出ました。だから、私達は普通にご飯を食べる生活に戻り、夫が帰ってからも、それを崩すことはしませんでした。
 互いの食生活を認めて、干渉しない。それが私達の見つけた合意点でした。

 肉と大量のサプリだけを摂り、薬は飲まない、医者にもかからない。
 それが、彼にとって最高の生き方でした。
 彼が信頼する医者は、サプリを勧める人ばかりでした。製薬会社の思惑に乗らない人だからです。なので、コロナワクチンにもみんな反対です。
 それをS N Sで発信し続ける彼のフォロワーや友達には、真っ当なお医者さんもおられました。何故、彼と繋がっていられたのか、謎です。
 もう一つ、彼が私の制止にも関わらず、止めてくれなかったのが、S N Sに子ども達を加工なしで載せることでした。
「僕のファンは、僕の家族のファンでもあるんだよ」
 娘が、クラスLINEで幼少時の写真を晒されたと泣くまで、それは続けられました。
 なんでもS N Sに投稿し、反応の多さを楽しむ、典型的なネット中毒です。ゲーム好きの長男が「ゲーム脳になってる」と大騒ぎしたのに(「ゲーム脳」は医学的な裏付けのない主張です)、「スマホ脳」には無頓着でした。家にいるときは、いつもスマホを見ていて、食事中も放しません。もちろん、寝るときも、スマホリングが指にかかったままです。スマホ見ながら寝落ちするので。
 でも、日々悪化して行く体調を、投稿する事はありませんでした。
 だって、理想の生活をしているんですよ。体調が悪いなんてあり得ないことなんです。
 それに、癌になっても大丈夫。断食して、高濃度ビタミンCを点滴すれば、どんな癌でも治るんですから。死んでいく人は、断食しないからなんです。癌細胞は、糖を食べて成長するから、それに餌をやらなきゃいいんです。
 自分が餓死すんじゃん。そう言っても、あけみちゃんは何もわかってないんだよ、というだけでした。この本を読めばわかるよと差し出す本を読む暇は私にはありませんでした。毎日、ごろごろしてスマホを一日何時間も見てる人には想像できないハードさで、私の毎日は回ってるんです。
 しかし、先の夏頃、彼の体調は非常に悪くなっていました。息も切れるし、だるくて、何をする気もおきません。食欲もない。放ってはおけないほどです。
 名古屋市では、いくつかの検診を無料もしくはワンコインで受けられます。どうせ、役に立つような診断はもらえないからと無視していたその通知を、今年はとっておいてね、と言われました。通知を待たずに、近所のかかりつけのお医者さんに行ったら、レントゲンを撮った上で、貧血との診断が出て、鉄剤が処方されました。
 彼は新しもの好きで、こういうものを持ってますとS N Sで自慢するのも好きで、欲しいものはすぐに買います。考えずに買います。普通に買えなかったら、高額で転売されているものも躊躇しません。この時期、血中の酸素濃度を測るパルスオキシメーターを二つも持っていました。これで97以下が出たら、コロナの疑いあり、というやつです。これが93とか、ひどいときには90で、その写真をフェイスブックに投稿したんですね。「これなんだけど、貧血なんだって」って。構ってちゃんだこと。
 何人かのお医者さんが、すぐに反応しました。「セカンドオピニオンを」。
 網走で行ったお医者さんのセカンドオピニオンも貧血。
「絶対おかしい。救急にいくレベルだ。ちゃんと検査して。肺炎起こしてる」
 そう言ってくださった複数の先生に、私はとても感謝しています。今まで、医者は病院はあてにならない、散々そう言って来た夫に、親身のアドバイスをくださったんです。ざまあみろ、断糖とサプリで万全の筈が、全然駄目じゃねえか。そう言って見放しても良かったのに。
 彼がそれまでにかかったのは、お二人とも町の開業医さんです。渋るお医者さんに頼み込んで、紹介状を書いていただきました。網走で一番大きな病院に行きます。
 C Tの結果、肺癌ステージVとのことでした。手術と抗癌剤で生き延びることができると言われました。
 しかし、翌日、肝臓とリンパへの転移が見つかり、ステージWとなりました。もう手術はできません。
 でも今は、いい薬があるんです。昔の副作用ばかりが大きい薬とは違います。
 そんなこと、並のお医者さんが言っても彼は信じなかったでしょう。
 ですが、それを告げたお医者さんは、ステージWの患者さんでもあったのです。
 薬で、ここまで生きて来ました。
 先生のその言葉から、彼は薬による治療を受け入れます。
 だって、日に日に体は衰えていく。自力歩行も困難な状態で、網走で一人暮らしです。
 放っておけば癌は治るなんてこと、ありませんでした。
 ただ、呼吸器でしたので、この時期、すぐに治療は始められませんでした。
 第5波と言われた時期です。
 愛知県でも、連日4桁の新規感染者が出ていました。
 私達家族は、彼を網走の病院で治療することに決めました。
 そして、この先何があっても、後悔しないこと、誰も責めたり恨んだりしないことを約束しました。



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