2017.04.10
ジェネレーションギャップ
堀田あけみ
私立の大学は定年退職の年齢が高く設定されていることがほとんどです。だから、国公立を退職された先生がいらっしゃることも多々あります。そうすると、退職のサイクルも必然的に早くなるわけで。それほど多くの教員がいる学部ではないのですが、3月になると結構頻繁に歓送会を催しています。
最後に一言いただくのは定番ですが、その中でよく言われるのが、大学の教員という職を得たお蔭で、若い気持ちを保っていられてよかったということです。大学の教員が、他の学校の先生方と違うのは、大学に入ってから、大学院に進んで、院生をしながら非常勤に出て、ご縁のあるところの専任となる、という悪く言えばだらだらと、けじめなく社会人になる点ではないかと思います。採用試験を一斉に受けて結果を待ったりはしないわけで。もちろん、教員募集に応募して、面接を経て待っている時間はあって、人並みにどきどきしますけど。つまりは、学生気分を吹っ切るタイミングが見つけにくいのです。若い頃は、学生と見分けをつけてもらえなくて、講師控え室から追い出されたりとか、教え子たちから愛称で呼ばれたりすることもあって。
私は、17歳から大人に混じって仕事をしていて、よく言えば可愛がってもらえたし、悪く言えば軽く扱われていました。何かを主張しても、「はいはい、わかったわかった」という感じで流されたり、もので釣れるんじゃないかと思われていた節もありました。だから、早く大人になって一人前に扱って欲しくて、若いことにあまり価値を置いていませんでした。周囲には、女子高生だから女子大生だから、それだけで自分には価値があると思っている子もいましたが、自分の立ち位置に価値があると思ったら、その先には落とし穴が口を開けていると自分を戒めていたものです。学生という立場を無くした時に、自分の価値を見失わないようにするには、自分自身に価値をつけるしかないんだと。
だから、先生と呼ばれる立場になったからには、もう学生ではない、もう大人だとの自覚を持つよう、心がけたものです。そんな私にとって、子どもであることが前提の教え子たち(最短で6学年差。マナトが小学校に入ったら、上の学年に初期の教え子のお子さんがいました)とはギャップはあって当然でした。むしろ歓迎すべきものでした。
ところがいつまでも、学生とお友達的な関係だと思っているタイプの先生は、ギャップが相当応えたようで。まずは、知ってて当然のことを知らない。東京でオリンピックがあったこと(もちろん、1964年の方ですよ)を知らない、辺りから始まって、万博(もちろん、1970年の方ですよ)を知らない。この辺が、私達の世代がジェネレーションギャップを感じた入り口です。かと思えば、昭和30年代を終戦直後呼ばわりする。
「先生、昭和39年生まれなんですか。焼け跡派ですか」
新幹線走っとったわ。
そして、もう若くない、という事実を突きつけられたのは。
「今年の新入生、平成生まれじゃん!」
更に、
「昭和生まれの学生、全員卒業しちゃったじゃん!」
正直、平成生まれの入学生にびびる先生には、違和感を禁じ得なかったものです。だって、普通に数えればわかるじゃん。
多分、ジェネレーションギャップは、世代をまたいで起こるものだとのイメーイがあるのでしょう。だから、自分の子どもほどの歳の差はない学生達とのギャップが、とても大きなものに感じられると。
でも実際には、数年違うともう違う、という感じで。マナトとコトコは6歳違い、まあ、私と一番歳の近い教え子との差と同じです。あるもん、ジェネレーションギャップ。
コトコはレンタルビデオを知りません。記憶の有る限り、DVDを使っているので。「おかあさんといっしょ」の歌のお兄さん ・お姉さんも、きょうだい3人それぞれに、親しんだ人が違います。コトコには、祖父の記憶がほとんどありません。外国で過ごした記憶も。
どうも、彼らは同じ世代とはくくれないようなのです。カイトとマナトは、1年11ヶ月しか違わないので、同じみたいですが。
これからも、ギャップはどんどん大きくなるでしょう。私は、お蔭様でそれを楽しみながら生きて来たと思います。でも、上の世代との育児法のギャップなんかには、苦労させられました。多分、もう私達の時代とは違う育児法が当然になっているんでしょう。あ、違うんだなあ、と、寂しさとともにではなく、楽しいと思いながら、感じて生きたいものです。
子どもの名前にもギャップがあります。キラキラネームとは言わないまでも、私達の頃とは、頻繁に見かける名前が違います。同じ読みでも、漢字のバリエーションが増えています。ここのところ、新入生の座席表を作る仕事を年に一回しているのですが、これ、すごくめんどくさい。一発変換できる名前が少ないんです。1文字ずつ入れないと出てこなかったり、どうやって呼び出せばいいのかわからない漢字だったり。
で、意外なことに。
古臭いからと敬遠されたはずの、「子」が付く名前、どうやら一周回って新しいようですよ。顔の見分けがつかない六つ子も、平成の時代に、なんでというほどの大人気ですし、そういうこともあるんでしょうね。
基本的には、ジェネレーションギャップって、楽しむためにあってほしいです。いらいらしたり、むかむかしたり、他の世代を貶めるためでもなく。どの世代にも魅力はありますもの。
でも私は、昭和39年生まれであることを、一番いい時代に生まれたかもしれない、いやきっとそうだと、ずっと思っていきそうな気がします。面白いものを、良き年代で見てきたような。みんな、そう思って生きてるのかな。