2017.1.10
           角度を変えよう
            
                         堀田あけみ

 ご縁があって、今年下半期は、就学前の発達に不安のあるお子さんをお持ちのお母様方にお話をする機会に多く恵まれました。考えてみれば、こういうときの内容は、このメルマガを始めた頃に、書いていたことが中心になっています。こういった仕事を頻繁にするようになって、もう十年以上になりますが、私もなんというか、他人を力づけることがちゃんとできるようになってきたようです。バブル期と言われる時代、広告代理店さん経由で「素敵な恋をするには」といった演題で話していた頃は、へたくそだったなあ、話が。それで、いただく報酬は一桁上とか。授業も下手でした。
 私が、この歳で成長を実感しておりますので、子ども達の成長の確かさたるや。私が人前で語っている今このときに、ほとんど不安はありません。だけど、一通り、自閉の子が通る道は、通ってきたよなあ、と思います。聴覚過敏で不機嫌な声が大嫌いだから、いつも愚図ってる子を叩いちゃったり。そうは見えないんだけど、やきもちやきだから、新入生に担任の先生がかかりっきりになるのが嫌で、いじめちゃったり。飲み物の入ったコップをいきなり倒すのにはまった時期は、食事中、一瞬も気を抜くことはできませんでした。破壊衝動に正直なんでしょうかね。ショッピングモールのキッズスペースで、よその子が作る積み木を壊すのが大好きになった時期には、出入りを自粛したもんです。そこで子どもを遊ばせるために行くこともあったので、これもきつかったなあ。そして、それをやり遂げた時の満面の笑み。我が子の幸福そうな笑顔に、これほど遣る瀬無い想いを抱かなければならないことが、どうしようもなく割り切れなかったものです。
 そういったことがすべて過去になるのは、当然のことなのに、やはりとても良い子になったカイトを見ていると、どこかで魔法にかかったような気もするわけで。
 私も半世紀以上生きてきました。人生経験豊富な人に分類される側になってしまいましたよ、いつのまにか。だから思います。一見マイナスのことを、プラスに転化するのは、ある程度までは可能なものだと。絶対できる、と断言しないのはできない例も容易に考えつくから。例えば、子どもを失うことがあったら、私はその喪失を何かで埋められると想像できません。
 先日、子どもの進路を、普通か特別支援かで迷っている友達とお話ししました。一緒に特別支援校に言っている子のお母さんも一緒です。特別支援校のスクールバスには、とてもうちの子達まで乗せる余裕はなくて、一人通学だと話したら、もっと増やしてもらえたらいいのにね、と言われました。
 実は、当事者である私たちは、必ずしもそうは思っていないのです。乗れない、と聞いたときには、ショックはありました。でも、そのおかげで、我が家の近くを通るスクールバスとは違う学校に、通わせることができました。見学したカイトと、おとうさんが、ここが一番いいと言った学校です。そして、普通に一人通学ができるようになりました。いつの間にか。企業での職場実習でも、同じです。
 私たちの強い味方は、見守りケータイ。新しいところに一人で行くたび、カイトの居場所を示すマークを見守ります。それは、いつも着実に、目的地に向かっています。
 角度を変えて考える努力をしてみましょう。いろいろなものが、味方になってくれるはずです。負け惜しみだと言われることもあります。それは、言わせておけば良いだけのこと。真に受けたって、幸せになれないもの。
「普通」は必ずしも幸せへの近道ではないって知ることから始めてみましょうか。



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