2024.07.10
思い出すことなんか、なんもあらへん。
という書き出しで始まる作品がありました。エッセイ創作の時間のことです。
とにかく、夏休みはどこにも行けなくて、苦痛だったと。
私にとって長期の休暇は昼飯との戦い。だがしかし、日本の食卓は恵まれてると思いましたよ。カナダで子どもと一ヶ月過ごしたときには。
だって、チョイスがパスタとパンだもの。他にあるか?
その他に、うどん・蕎麦・ラーメン・焼きそば・チャーハン・おにぎり、夏場だったらそれに加えて素麺・冷やし中華といったバリエーションのある国に生まれてよかったですよ。同じパスタでも、ナポリタン(名古屋ではイタリアンと言いますがね。多分、イタリアの食いもんでも、ナポリのそれでもない)は日本人の発明した驚異の洋食ですし。ただ、毎日のお弁当がピーナツバターのサンドイッチとりんごで全然構わん、という国民性ならそんなもんいらんのか、と。
そして私にとっては、旅行との戦いでもあります。長期の休暇には、ある程度の規模の旅をするのが我が家のお約束でした。もちろん、帰省もします。私は名古屋ですが、夫は群馬で、盆と正月とG Wには片道8時間のドライブ、年に3回は必須でした。それとは別に、3〜9泊くらいの旅行を企画します。どこかに行こうとして、そっちに行くならここにも行きたい、と日程がどんどん伸びていくんです。
例えば、ある年は長女が出雲大社、長男がハウステンボスに行きたいと言い出しました。ハウステンボスについては、このとき、「太鼓の達人」とコラボしていて、プロジェクションマッピングでプレイ画面が映し出されるという企画をしていたからです。長男は、いわゆる「音ゲー」が大好きで、ちょうどこのとき、「太鼓の達人」にはまっていたんです。
決して近くはありません。でも、名古屋から見たら同じ方向なので、この際、両方に行きましょう。そうなると、夫は「じゃあ、広島でお好み焼き食べよう」「厳島神社、海上参拝できるよ」「広島から一思いに名古屋はきつくない? U S J行こう」。あっという間に一週間の旅行プランが出来上がりました。費用? もちろん私が全部持ちます。手配するのも私です。免許を持っていない私は、全行程、夫に運転をお任せするので、手配くらいは。お金の問題は、ない袖を振らせることはできないんです。
ハウステンボスでは素敵なホテルに泊まるので、後の行程は「旅籠屋」を活用。これは全国チェーンで、当時はツイン一部屋5000円でした。何もないけど、ベッドが大きくて、子ども連れにはありがたかったです。
お天気が良いわけではなかったし、夫はいつも、
「あけみちゃん、行きたいとこある?」
って訊くけど、答えると、
「そんなとこより、絶対こっちのが楽しいって」
って言って、私は稲佐の浜に行きたいって言ったのにサンドミュージアムに行って、私は赤間神社に行きたいって言ったのに大久野島で兎と戯れて。
群馬でも、「るるぶ群馬」を渡して、どこに行きたいか訊いておいて、いざとなると、「そこは行っても面白くない」だの「道が悪くていきにくい」だの「どうしてすぐに神社仏閣になるんだ」だのと言って、いつも「赤城フラワーパーク」「渋川スカイランドパーク」に、榛名湖ばかり行って、だったら訊くなよ、と思います。でも、次の機会には、また訊く。
炊事と片付けから解放されるのは良いけど、洗濯はついて回るし、何より5人分の荷造りは私の仕事だし(まあ、運転以外は全部私の仕事なんですよ)、日常からの解放は言うほど楽な話ではないです。
でも、旅先でのいざこざ(ない訳がない。小原家に)含めて、今となっては全部、宝物です。
コロナと夫の死が重なって、私達はしばらく長い旅をしていませんでした。行くときは一泊で近場に。名古屋に住んでいると、三重とか下呂とか行けば外れないし、娘が京都に行ってからは、日帰りで楽しく行けることもあって、大人だけで構成された家族の楽しみとしては、上等です。
でもこの夏、多分最後の大規模な家族旅行に出かけます。行き先は網走。夫が亡くなった場所です。3年前、彼らは父親を看取るために、ここに来ました。娘が受験生だったので、早々に帰り、私は一人で後から遺骨と一緒に帰ってきました。そのときには、「ゴールデンカムイ」のグッズを買ったくらいで、特に北海道らしいことはしていません。その後、長男が夫の使っていた部屋を片付けに一人で網走に行きましたが、これも片付けだけで一杯一杯で、観光はしていません。
だから夫が最後まで撮影していた知床を、みんなで見てきます。
経済的にも、体力的にも私はずいぶん無理をしたけど、大人になってから、友達と行く旅とは一味違う経験を一緒にしてこられたと思います。
家が一番な人も、出かけるにしてもインドアがいい人もいますから、無理にとは言いませんが。
迷っているなら、この夏、思い出作りを頑張ってみるのも良いのでは。
行ってみると良いものです。
私は、そうでした。