2024.06.10
先月は、「家の顔を全てだと思わない」というお話をしました。集団の中での顔も見てください。見て「へー」で終わらせないようにしましょう。
特に「おうちと違うかもしれないので見てくださいね」と、現場の先生に言われるのは、赤に近い黄色信号だとわかっておいてください。「参観に来てください」と個別にお願いが来たり、場合によっては「いつもの様子をご覧になりますか」と何でもない日に特別なご招待を受けたお母さんもおられました。
見る機会がないケースもありますが、敢えて目を背けることもあります。前回、衝動的な暴力行為を繰り返す男児のことをお話ししました。お母さんは、一見普通に公園で外交できる人。普通にお付き合いするには特に問題ありません。
でも、お子さんが関わると、積極的にはとてもお付き合いしたいとは思えない相手になります。まず、お子さんの他害が激し過ぎる。平気で嘘をつくし、腹立たしいほど演技力があるので、母親がころっと騙される。でも、本当は騙されていないのですよね。だから、徹底的に見ないことにします。お母さんの様子を見ていると、何があっても長男くんの行動を見ようとしません。下の女の子のお世話だけしている。見ていないから信じません、と言えるように準備しています。
見ないという点に関しては、本当に徹底していて、同じ部屋の中で、我が子がおやつを全部抱えて口に押し込みながら、「みんなのだよ」「わけっこしようよ」という友達(この時点で、こいつ、うちの子の友達でも何でもねえな、と私などは思っていましたが)を蹴り飛ばす。お母さんと彼の間の距離、2メートルくらいです。止めてくれないどころか、そちらを絶対に見ない。ずっと赤ちゃんを見てる。不自然に。
注意してほしい、とお願いしても、「うちの子、何もしてないから。私、見てない」。見ろよ。
彼女は息子をとても優しい子だと言います。母親には従順どころか、「大好きだよ」「お手伝いするね」と愛情表現を惜しまない。それから、女子にも愛想よしです。我が家は子ども達が小さかった頃に、誘い合って数家族で行ったキャンプでも、自分より大きな小学生に火のついた薪を投げつける、寝転んで星を見ているお腹を勢いよく踏みつけるといった、常軌を逸した暴力を振るうので他の家族が楽しめず、心苦しいことですが、誘わないという選択に至りました。お父さんは注意しますが、するとお母さんが言います。
「パパのせいでしょ。パパが遊んであげてないからじゃん」
そう思うなら、お母さんが構ってあげて。
私達にとっては幸いなことに、近隣市町村に引っ越して幼稚園も変わったので、それで縁が切れると思っていました。
でも、泣きの一回が。
お母さん、どうしても蛍が見たかったんです。話ぶりを聞いていると、子どもに見せたいというより、自分が見たいようでした。夜に川に行くので、普段の様子からご一緒できない(したくない、ではなく)とお伝えしました。転落したら、誰も助けられない。お父さんが忙しいから母子で行く、というけど、何かあったら、よその父親に助けを求めるでしょ? 私は夫を絶対に、夜の川に飛び込ませませんから。
「大丈夫。靴に反射板つけるから」
反射板ついてたら溺れないって初めて知ったわ。
当日、集合場所であるサービスエリアに着いたら、彼女の姿が。誘ってないのに。気の弱そうなママ友さんを使って聞き出していました。少年は早速久しぶりに会ったかつてのクラスメートを後ろからペットボトルで力一杯殴っていました。
ですが、現場に着いたとき、彼は車の中で熟睡していました。我が家の蛍の流儀は、明るいうちに現場に行くことです。蛍がどんなところに住んでいるかを見て、どこから光り始めて、どこに飛んでいくのかを知るためです。蛍が生きていることを実感しなければ意味がないから。ただの点滅ではイルミネーションと変わりありません。しゃぼん玉を作ったり、花を摘んだり、とんぼを追いかけたりして日暮を待って、良きところで、誰が一番早く蛍を見つけるかを平和に競争します。
彼が目を覚ましたのは、蛍の飛翔最盛期。お母さんは、間に合ったと大喜びですが、本人にしたら、それどころではありません。目が覚めたら真っ暗なんです。山の中の真っ暗って、町中では経験できない、本当の暗さです。そこで満月が山の端から昇るのを経験していますが、昼のように明るくなったと体感しました。いえ、暗いんですけど。普通に夜なんですけど。
怖いわ。そりゃ。
ならば、他の子ども達がはしゃぎ回ってるのは何故か。
明るい時間からずっとそこにいるので、目が慣れているんです。
車に立て籠って泣き叫ぶ彼のところに、父親の指示で捕まえた蛍を持って行った長男は「死ね」と言われ、「生きる」と答えて蛍を逃しました。
直接お会いしたのはそれが最後ですが、今はアパレル関係で普通に社会人をされているそうで何よりです。
これだけのことをしても、見ていなければなかったことになります。
でも、お母さんからすべてを許されていた彼は、本当に幸福だったのかしら。
実は不幸なのよ、ということではなく、その瞬間、満たされていたのでしょうか。
子どもの時代の幸福を語る人は多いけど、大人になってほっとしてる人は確実にいる。放置されない、過干渉に晒されない。
本当に満たされた顔を、ずっとしていられるなんてありえないけど、親も子も。
でも、我が子が笑っているか、それが心からのものか。
一日一度くらいは、気にかけていたいものです。