2016.06.11
           昭和の特権
            
                         堀田あけみ

 NHKで「花は咲く」が流れる頻度が、九州でも地震があって以来、心なしか増えているように感じられます。様々なバージョンがありますが、どれも力の入った編集で、つけていたテレビの画面に登場すると、得した気分になります。
 得した、のレベルでない、がつんとした衝撃を食らうこともありまして。「 アニメスター編」というのが、民放や劇場版を含めた、新旧のアニメが5分間、次々と繰り出してきて、やられた、と思いました。他局のくらいでは、そうそう驚きませんが、選ばれてるのが、マニアックで。そして私はよくもまあ、すべての作品を知っていたものだと呆れます。正確にいうと、5分間かじりついて見た結果、一作だけわからないものがあったんですが、最後にでてくる一覧から「あの日見た花の名前をぼくたちはまだ知らない」だとすぐに特定できましたから。
 特に私は手塚治虫が大好きなので、「ジャングル大帝」(この素晴らしいネーミングセンス! 日本人に生まれてよかったです。「ライオン・キング」には持ち得ない情緒があります)は当然として、「どろろ」が入っていることに感動していると、「火の鳥 」から「鉄腕アトム」の流れで、涙がでました。比喩でなく。
 数年前、コトコが夢中になって読んだ朝日新聞社の「週刊 マンガ世界の偉人伝」のときもそうでした。世界の偉人と言っても、歴史上の人ばかりではなく、同時代を生きたアイルトン・セナ、マイケル・ジャクソン、スティーブ・ジョブズ等もラインナップに入っています。ワンガリ・マータイさんなどはご存命中だったのではないでしょうか。そこには、手塚治虫もいました。このシリーズは、各巻を違うマンガ家さんが担当されていて、力の入ったものでしたが、 私が泣いたのは手塚治虫の巻だけでした。死の直前、病床で「 僕に仕事をさせてくれ」と訴える手塚に、「リボンの騎士」サファイア姫がペンを渡すんですよ、泣かんでどうする。
 だが、アニメ観て泣く母親に、子どもは引くのでは。と思ったら、マナトから「おかあさんが羨ましい」と言われました。今、名作と言われているアニメやマンガをリアルタイムで観て、ゲームやインターネットが生活に入り込んでくる過程を体験して、それらをすべて受け止めた上で、オタク文化を享受している世代を、とても良い時代を生きてきた人達だと感じているようです。
 うちの子達はあんまり関心を示しませんが、アイドル文化とか名作ドラマとかも経験してきた世代です。団欒の真ん中にテレビがあった、昭和の子どもなんだな。それって、なんとなく寂しくないですか、っていう見方もできます。テレビが中心って。でも、それくらい昭和のテレビは面白かったんだよ。他の娯楽が少なすぎる以前に。クラス全員が見てる番組とかあったんだよ。ついでに、機種によっては映らない局もあって、うちはクラスで一番最後にカラーテレビ買った口だから、いつまでもUHF(今でいう中京テレビ)が観られなくって、話についていけなかったんだからな。ちなみに、電話引いたのもクラスで一番最後だったわ。ずっと、農協の有線電話ってのだった。 交換手さんに、「何番お願いします」って言って、繋いでもらうの。
 もちろん、ある程度、裕福なおうちの子でも(だからこそというべきか)親が厳しいのでテレビを観ていない子はいました。テレビばっかり観てると、バカになるとか言われたもんです。おとうさんが、そっちだったそうで、テレビやマンガに触れさせてもらえなかったとか。父親には万年反抗期の(私とは、小学生から中学生にかけて、壮絶なのをやらかしましたが、今は仲良しです)マナトに言わせると、文化の宝の山を素通りしてきた残念な人です。おとうさんのせいじゃないんだけど。義兄(姉の夫)も、そういうことには疎いのですが、昼間に外で遊びすぎて、テレビを観ないで寝ているタイプの子どもだったせいだそうです。
 でも、私は文化としては自分よりちょっと上の世代のものをメインに取り入れてきました。 前述の姉の影響が大きかったのですが、マンガに関しては非常に昭和的な要因で、もっと上の世代からの影響も受けていました。
 私の両親は、兄弟姉妹が多く、弟妹がいる立場です。そして、双方ともに「恥かきっこ」などと呼ばれた年の離れた末っ子がいました。どちらも、私の幼かった頃には、離れを建ててもらって、そこに住んでいました。昭和の時代にはよくあった光景ですね。長男が嫁をもらって、子どもができる頃に思春期を迎える弟妹を、離れに住まわせるのは。もう少し年がいってからだと、「居候」などと呼ばれたものです。そこに、マンガがたくさんあって、甥姪にとっては天国でした。叔父の部屋には、本棚一杯の手塚治虫と石森章太郎、叔母の部屋には床に直接積まれた大量の「週刊マーガレット」。ここで、小学生のときに順不同で読んだ「ベルサイユのばら」の衝撃は、物語を作りたいという私の原動力の大きな部分を担っています。 
 そんな時代に生きたことを羨ましいというのは、いかにも私の子だし、オタク社会の住人だなと思います。手塚治虫で大きくなり、中学のときに「ガンダム」をテレビで観て、高校生でインベーダーに夢中になったオタク第一世代の特徴は、実は大人になるまでインターネットを知らなかったことではないかと思うのです。だから、ネットというオタクにとって究極の宝箱が目の前に現れたときに、夢中になってその世界を支配していったのではないかと。ネットの主流を担っているのは、若い世代ではなく、オタク第一世代だと思います。それも男性が中心で。だって、 子ども達は「北斗の拳」や「うる星やつら」といった20世紀の少年マンガは熟知しているのに、同時期の少女マンガは知りません。ネットで 取り上げられることが 少ないから。「ときめきトゥナイト」とか、すっかり忘れられている。
 思い出とは美しいものなので、 20年後、きっと彼らには彼らの、羨むべき黄金期が出てくると思うのです。既に、マナトはそれを持っている。久しぶりに、「おかあさんといっしょ」を観て、
「今の人形劇、あんなんかあ。『どれみふぁどーなっつ』は神だったなあ」
 私も、高畠華宵や中原淳一と同時代に生きた人を羨ましく思ったりしましたもの。
「おかあさんが経験してきた文化が羨ましい」
 と言って貰えるのは、幸せなことです。
 学生達には、こちらからアピールすることが多いですから。
「昭和なめんな」 



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