2016.04.13
巣は空っぽじゃない
堀田あけみ
かつて、ナンシー関さんが「日本人独特の考え方」を考察された際に、「相手との関係を学年で規定する」というのがありました。「学年で人間関係を考える」。「11ヶ月年上だけど、学年は一緒」の人は友達で、「三日後に生まれて学年が下の人」は後輩、といったような。大学院生時代に韓国で、やたら年齢を確認されたことがありましたが、年上か年下かで言葉遣いを変えるので、必須事項だと言われました。それが 日本では学年という区切りで、より繊細で微妙な分け方をされてしまうのですね。都合によりけりですけど。どうも、自分をより若い方にしたいようです。私は5月生まれ。私より一学年下で12月生まれの担当編集者 さんは、ずっと「2歳違い」という表現でしたし、義理の妹は同じ辰年の早生まれで「同い年」といいます。前者は妥当でも、後者はちょっと違うと思う。だって同じ経験を共有できてないもの。例えば、金八先生のファーストシーズンを丁度中学3年生で迎えてたとか。そう言えば、マナトも5月生まれで、小さいころ、公園で仲良くしていた子達が、一斉に幼稚園に入園したとき、自分だけが行けないことに、釈然としないものを感じていたようでした。
そこには、干支に基づいて12年を一区切りとする考え方も含まれるでしょう。「丁度、一まわり年下なんだよね」とか、日本の文化に触れていなければ、何が「丁度」なのかわかりません。でも、同じ干支が再度巡ってくると、随分と長い時間が経ったのだなと感じます。
未年のコトコと一緒に、申年を迎えて思ったことです。
私は自分が母親であるという事実に、依存していると自覚しています。子供を産んだということは、それだけで存在意義を認めてもらえることなのです。だからこそ、責任ある人が子どもを持たない女性を軽んじるような哀しい発言をして、叩かれる事件も頻発するのだと思います。油断すると、母であることに満足して、自分を高めることを忘れてしまいかねません。
おかんキャラを売りにしている部分も大きいし、私自身が子どもと一緒である時間を至上のものとしているので、大きくなった子ども達とどんな距離の取り方をするのか、自分でも不安に思っていました。
でも、なんだか大丈夫みたいです。
子ども達の卒業式の度、私は盛大に泣いてきました。だいたい、毎年誰かの卒業式があるので、ハンカチの用意を忘れずに、だったのですが、先日、マナトの卒業式で、思ったほど泣かなくて。ちょっと涙は零れました。でも、指先で拭えました。それは、途中で受け取った何通かのメールのせいだとも思っていました。本来、その時間に私は職場にいなければいけなかったのですが、息子の卒業式だから、と免除していただいたという事情がありました。その代わり、他の仕事はたくさんしますから、とも言いました。そしたら、容赦なく仕事のメールが続けて舞い込んできて、涙が引っ込んだんだと、そのときは思ったのです。
でも、続くコトコの卒業式、12年に亘る、オハラ家の小学校ライフの終わり、覚悟してハンカチ持って出かけたのに。
全く涙が出てこない。ちょっと危ういときはありました。泣こうと思ったら、 簡単に出てきただろうな、涙。だけど、それも変だから。涙って、無理にだすもんじゃない。むしろ堪えられるだけ、堪えるものだというのが、泣き虫で通って来た私の考えです。そしたら、全然。
これにも、思い当たるところがないわけではありません。 今年から、新しくいらした 校長先生(この一年、コトコが、人間味がなくて苦手、と言って、以前の先生を恋しがる度、そういうことはいうもんじゃないと、言い聞かせてきました)のお話が、大変に平坦な話し方、いわゆる棒読みだったので(メモ見てたし)、涙が以下略。
でもね、これは手前勝手な解釈かもしれませんが、私は子育てへの依存から抜け出しつつあるのかもしれません。
子ども達といつまでも仲良しの私に、 子離れができないんじゃないかと言った人が何人かいます。おとうさんも含めて。でも、私の持論は「私の子ども」として沢山接触しておいたら、満足して、しかるべきときに子どもから離れていける、というものでした。子ども達と 本当にいろいろな楽しい時間を持てたから、家族から離れて一人の時間を多く持つようになった子ども達に、もういいよ、今までありがとう、ってそんな気持ちになっているのかも。だったらいいな。
まだまだ仮説なので、断言はできませんが、ほんとだったら 嬉しいです。
子どもといっぱい、べたべたしようよって、提言できるから。
おとうさんは、私のこと、子離れできてない母だと思ってるけど、世間を舐めてるなあ。私、マナトをセンターも二次も、一人で受験に行かせてるぞ。
私は、子どもの受験に付き添ったというママ友さんが何人もいるのに 驚いているところです。