2016.03.10
              最後の思春期
                          堀田あけみ

 この冬、コトコはおとうさんとカナダに二人旅をする予定でした。
 ことの起こりは昨年の2月。
 毎年、3月にはカナダのケベックにある離島に取材に行くおとうさんです。取材対象はタテゴトアザラシの赤ちゃん。真っ白くてふわふわのごまちゃんです。動物園のゴマフアザラシの赤ちゃんのニュースとか見ると、「あれ、あんまり白くない」とか思うんじゃないでしょうか。真っ白でふわふわなの、本当はタテゴトなのです。でも、日本の近海にはいません。日本に生息しているのだと、クラカケという種類がもふもふ。ここまで来るとお分かりでしょう。コトコの名前の由来は楽器ではないのです。タテゴトアザラシのコトちゃんなのでした。
 昨年、取材準備するおとうさんに、いきなり、
「コトコも行きたいな」
「そんな急に言っても困るよ」
「あ、飛行機の座席空いているよ」
 もはや、どちらをどちらが言ったかは言うまい。
「パスポート切れてないよね。あけみちゃん、この機会に連れてった方がいいよ」
「って、言われて、はい明日から学校休んでカナダ行こうねーっていう親がどこにおる(少なくとも一人はここにいますが)。お金は、途中のホテルは、防寒具は、エアチケットの発券は」
 そう、明日なんだよ、出発は。
 そこで、来年にしようと決めました。一年かかって準備をしましょう。本来、私はこういうことで学校を休むことは良しとしません。でも、アザラシは別。オハラ家にとっての特別なのです。来年の3月はきっと卒業式の準備ばかりだから、学校を休んでもそんなに影響ないでしょう。私立の中学受ける子達も休むし。
 幸い、学年が改まったコトコの担任の先生は、昨年度と同じの若い男性。話が早そうです。そして着々と準備を進めていたのですが、夏頃に不穏なニュースが耳に入ってきました。「18年振りの大規模なエルニーニョ」が発生しているとのこと。マナトは「ハリケーンボーイ」とあだ名がつくほどの異常気象男ですが、その出発点は0歳のときのエルニーニョです。前年まで、真っ白に凍った海が、たぷたぷと青黒く波打っている様子は衝撃でした。マナトは今年18歳。あのエルニーニョがまた発生しているのです。
 それでも希望は捨てずに、パスポートを申請し、エアチケットを手配しました。結果は全ツアーキャンセル。
「大丈夫。覚悟はできてたから。自然のことだから、仕方ない」
 なんて良い子なんでしょう。自然のことなのに、旅行会社やホテルに対してどうしてくれるんだと怒る大人がたくさんいるのに。
 そこで、諦めさせることもできたのですが、一年間楽しみにしてきたことが、12歳の女の子の目の前で消えてしまったのは如何にも気の毒だと思いました。コトコの聞き分けが良いので尚更。
 訊いてみました。
「おとうさんが今度、北海道に取材に行くけど、一緒に行く?」
 答えは、
「うん」
 2月の半ばに4泊5日の取材に同行しました。
 もうカナダでもなければ、卒業旅行の練習の時期でもなく、なんだかんだぐだぐだになってしまいましたが。
 このところ、お父さんとコトコの関係は悪化の一途を辿っているので、ここらへんでの二人旅は親子の関係に変化をくれるのではないかと思いました。マナトが同じ理由で、自分の名前の元であるマナティに会いに行ったのが13歳のとき。そういうお年頃なんだと。
 こういう難しいお年頃は、巡って来るものなんだと改めて実感しました。カイトにも、それなりにきましたもんね。それもこれで最後です。手強そうですが。
 帰宅の日、空港に迎えに行きました。おとうさんが荷物を取りに行くから、おかあさんのところに先に行っていいよ、といわれて駆けてきたコトコ。ハグして、
「楽しかった?」
 と訊いたら、
「つまんなかった!」
 自然相手なので、待ち時間がやたら長いのです。話し相手もいないしね。
 だから、可愛い動物には会えて嬉しかったけど、待ち時間が手持ち無沙汰だったということです。
 但し、動物が出てくるのを見張っていて、バイト代を沢山もらったことは喜んでました。
 とはいうものの、冷静に計算してみると時給100円で、かなりブラックな労働条件です。おとうさんもコトコも得したってことで、いいんでしょうね。


BACK NEXT

Copyright(C) 2004,Asperger Society Japan.All Rights Reserved