2024.05.10
 4月1日をもちまして、勤務先の附属幼稚園の園長職を拝命いたしました。
 遠い昔に通り過ぎてしまった筈の問題が、にわかに身近な問題として浮上してきました。
 じっとしていられない、大きな声を出し続ける、保育室から逃げ出す、何も喋らない、著しい偏食、玩具の独り占め、周囲への暴言暴力。
 これらすべてをうちの子達が持っていたわけではありません。他所の子の問題であれば、私には関係のない他人事です。
 ところが、園長になった途端、すべてが自分事になるんだな。  
 朝夕、正門を開けるのは園長の仕事。お迎えして送り出して。園に入れない子がいます。園から帰りたがらない子もいます。その一方で、元気にやってきて、大きな声でご挨拶して、すんなり帰る子もいる。
 入れないで泣いている子のお母さんは、根気よく話しかけたり、抱き上げて運んできたり、叱りつけたり。どうしてうちの子は、と思ってしまうかもしれません。
 子どもの社会が広くなることで、「比較」の機会が生まれてしまって、そこから悩みが広がることにもなりますが、これは「気づき」の機会でもあるのです。
 他の子と違うのは当たり前。一人一人は、全て違うから。
 障害も一つの個性とは言いますが、個性に収まらないから障害とも言えるわけです。収まらない、の基準はなんでしょう。他者に迷惑をかけることと、自分が生き辛くなることです。なんとなく、正反対の事象に見えますね。前者は自己中心的、後者は自己犠牲的、という印象になりそうです。
 でも、この二つは表裏一体です。生き辛いから他者に迷惑をかけてしまうことがほとんどです(全部ではなく。衝動的な他害行動はあります)。だから、生き辛さを除けば問題行動が改善されることが多いのですが、そんなに簡単な話ではないですよね。
 ただ、闇雲に「するな」というのと、何かの原因を考える努力を少しでもするのとでは、長い目で見ると、ずいぶん違うと感じます。子どもが大人になったから、わかること。
 ここを読みにいらしている方に言っても仕方のないことですが、一番よくないのが、お子さんの問題行動に気づいた(かもしれない、のレベルで)ときに、目を逸らすことです。衝動的な他害行動をする子のお母さんで、公園や園庭、お友達の家ででも、絶対にお子さんを見ない人がいました。下のお子さんがおられるので、その子の方しか見ていない。小学生を後ろから石で殴る、女子のパンツに砂を入れるといった極悪ぶりですが、苦情への対応が、
 「こういうことした?」
 「してない」
 「うちの子、してないって言ってるんで」
 という具合です。
 途中で引っ越してしまったので、どのように成長したかはわかりませんが、このままの傾向を持っていたら、お母さんはとても苦労されたと思います。うちではとても優しい子だし、自分に嘘をついたことはないから、彼のいうことは全面的に信頼できる、とのことでした。
 お子さんの顔は、家庭と外では違います。大人だってそうです。それを使い分けだと思うから、子どもにはそんな器用なことはできない、と油断してしまいます。でもそれは本能でもあります。弱い子どもだからこそ、より頼りになる相手に取り入ろうします。
 だから、家族以外に見せる顔を知ることは、とても大切。入園式でも、お忙しいとは思いますが、行事にはできるだけご参加ください、とお話ししました。集団の中の子どもさんを見てください。いや、別の話も準備してたんですが、キッズがわんぱく過ぎて、それを言うのが精一杯。
 私、幼児の騒々しさを忘れたのかしら。
 今年は、例年よりちょっとパワフルだったそうです。
 まずは気づくことが大切。療育が必要かどうかは置いといて。
 家で見せる顔だけがすべてだとは思わないように。



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