2015.07.10
本当に幸福な食卓
堀田あけみ
鬱陶しい梅雨がやってきたので、鬱陶しいおとうさんが蛍の取材に出かけています。
おかげさまで、オハラ家の食卓は平和です。
私も、作るのは低糖質の食事です。ご飯は玄米を少し。パンもふすまパンです。慣れれば美味しいというおとうさんですが、私は慣れません。小麦粉は使いません。大豆粉です。出来合いのものには、小麦粉と白いお砂糖がたくさん入っているので、なんでも一から作ります。お休みの日のお昼ご飯なんて大変です。そうめん茹でときゃどうにかなった日々が嘘のようです。甘味はラカントという甘味料を使います。
でも、基本、母の味なので。和食が普通に食べられると、晩御飯を食べたって実感します。そして、この生活で実感したのは、白米と小麦の偉大さでした。
玄米が体にいいのはわかります。白米が普及するようになってから、脚気が増えたんですもんね。でも、おかずが美味しく感じるのは圧倒的に白米です。ご飯自体が美味しいし。
「何言ってんの、玄米美味しいよ!!!!!」
味の感覚は、個人的なものなのでお構いなく。でも、白米は単なる味覚の問題とも言えるわけで。日本人の命でもあるわけですが。
「日本人は100年前まで玄米食べてたんだよ!!!!!」
私は現代に生きているので。
一方、小麦粉は食品として、本当に偉大です。パン、ピザ、天ぷら、どれも大豆粉で代用できますが、作りやすさが全然違うのです。特に天ぷらの衣のまとまり具合。出来上がった天ぷらは、味も形もそれほど遜色ありません。けれど、揚げている間、衣が剥がれないように、形が崩れないように、付きっ切りで世話をして、丁寧に扱わないといけないので、調理に時間がかかるし、心身共に3倍くらい疲れます。小麦を育てるようになって、人類は本当に助かったんだろうなあ。
おとうさんが、理想的な料理を家族に作っているのに、私達の食卓は不幸なものでした。コトコはそれを、不味いから、としていましたが、マナトは楽しくないからだとしていました。私もけして不味くはなかったと思います。ただ、バリエーションが少ないので、飽きることもありました。それから、本に書いてあることが一番正しく、人の言うことはあてにならないと考えている為(本も人が書いてるのに不思議。それとも私のことだけ、信頼してないのかしら)、ちょっとしたアドバイスをしても、聞き入れないので、うまくいかないこともありました。鶏肉と魚を一緒に調理しようとするので、鶏肉の方が火が通りにくいから、下ごしらえしといた方がいいと思うといっても、僕は大丈夫だと思うからと、一緒にオーブンに入れて、魚はパサパサ、鳥は生焼けにしたり。
問題は、それを食べている間、リラックスできないことです。
「どう、おいしい?」
から、食卓の会話は始まります。
「おいしい」と答えたら、その料理に関する蘊蓄が語られます。それは、いい。それ以外の答えが返ってくると(私はめんどくさいので、全部おいしいとしています)、おいしいと思えない理由について説教が始まります。腸の調子がよくないから味覚が狂ってるんだ、悪い食事に洗脳されていて正しいものをおいしいと感じられないんだ。
それから、どんな話題でも、驚異的な解釈で、脳より腸の方が大切だとか、炭水化物は人類を滅ぼすとかの方向に持っていきます。食事中に、楽しい話題ではありません。だったら、楽しい話をこちらが用意しましょう。
無駄です。
学校の話をしていると、
「学校で出す給食もさあ、そもそも…」
って、自分の作る飯の優秀さの話になるし。
テレビ番組の話をすると、自分と同じ健康法を実施している芸能人の話になるし。
グルメの話題。あ、絶対ダメ。
「糖質ゼロのレストランて、なんでこんなに少ないんだろう。絶対流行るのに。酵素取り入れたり、発酵食品に重点置いたりしてさ」
とか言い出すから。
なんでないかって。
食べたい人が少ないからに決まってんじゃん。
今、行列ができているのは、パンケーキにキャラメルたっぷりのポップコーン、クロワッサンたいやき、ラーメン。おとうさんが親の仇のように思っている小麦粉やお砂糖をたっぷり使ったものばかりです。それが世の中なのに。
私は、お給仕で食べるのが遅くなるので、一人で食卓に残ることが多いです。一人で、じゃこと、もやしを食べていたら、おとうさんがこんな話をしてきました。
「何と言っても、僕が一番正しいと思うのは、藤田紘一郎さんだね、自分でサナダムシまで飼ってる人だからさ」
お食事中の話題ではないのでは、と抗議したら、切れました。
「こんな話も聞いてくれないなんて、家族の意味ないよっ!」
びっくりした。まだ、家族に話したいことがあったんだ。食事中もスマホを手放さず、私の言い分は、
「フェイスブックでは、僕のこと、みんな褒めてるよ」
という理由で悉く否定されるので、「友達」がいれば家族はいらないのかと思ってました。
こんな状況では、うっかり口もきけません。できるだけ、話しかけないようにしています。でも、おとうさんにだけ話しかけないと、いじめみたいなので、私と子供達はできるだけ口をきかないようにしています。
今のオハラ家はとても楽しいです。だれも怒鳴りません。泣きません。笑い声が溢れています。でも、それもあと少しで終わりです。
「おかあさん、こんなに楽しい晩御飯、もうすぐ食べられなくなっちゃうね」
食卓でコトコがいうから、
「幸せ?」
って訊いたら、
「うん!」
いい笑顔を返してくれました。
でも、偽物です。誰かがいないことで成立する幸せは。
本当の幸福は、みんなが揃うことで成立するものです。
私達5人は、家族としては、もう二度と本当の幸せを手に入れることはできないのかもしれません。
それぞれが一生懸命に生きているからこそ、幸せを手放すこともあるのが家族なんだと学んだので、無駄ではなかったと思います。できたら通りたくない道だったけど。
二ヶ月続けて、しんどい話題ですみません。今、我が家の真ん中にはこの問題が大きく居座っていて、他の話題を蹴散らしてしまうので。
来月までに、楽しい話題を探しておきます。