2014.11.10
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NPO法人アスペ・エルデの会「楽しい子育て応援団」です 2014、11号
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堀田あけみ先生の「子育て応援エッセイ」 第102回
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◇◆新学期が始まらない
夏休みは、とっくに終わりました。
思い返せば、ある時期、私に夏休みはありませんでした。
大学院生時代、研究室に住んでるような生活だったので、盆には実家に行きました(花屋なので、お盆にはお手伝いが必要だし)が、夏休みは、非常勤の講義がなくなって、出席する授業が休みになるだけ、という感じでした。他の院生も、いたし。それでいて、夏にしなければいけないことに、強い拘りを持っていました。海行って、野外ライブ行って、花火見て、夏祭り行って、旅行して。自分が楽しんでいるという事実が必要だったのです。実感ではなく。
そして、ほんとに小さい子どもしかいなかったときにも、毎日、公園で遊んでいて、それに休みなんてありませんでした。暑くなったら、公園で水浴びさせていました。
私の生活に夏休みが復活したのは、マナトが幼稚園に入ってからです。気が付くと、ずっと子どもと一緒だった筈の私達の日常が、子ども不在になっていました。子ども達は朝、学校に行き、午後に帰宅するものです。だから、朝は定時に子ども達を送り出して自分も出勤する為に、大車輪になるし、昼ご飯は家族がそれぞれで食べるものです。
だからこそ、夏休みが大問題になります。なんせ、長い。長いから、宿題もあるし、主婦としては何より、昼飯の問題が大きい。それでいて、予定がそれぞれに入っているから、家族全員が自由になる時間は意外と少ない。そしてやっぱり、夏休みに私独自のノルマはあるので、こなさなければいけません。コトコに浴衣着せて行く夏祭り、大きなプール、旅行、ポケモンの映画。これらを、仕事、出校日、補習、日間賀、帰省、通院の間に当てはめなきゃ行けないんですから。
でも、この三人の夏休みが束になってやってくるという状態も、あと数年ですね。大学入った時点で、毎日、通学する訳じゃなくなるし。生活から夏休みが消えたとき、私はどんな気持ちになるんでしょう。
そして、私の本当の夏休みは、子ども達が学校に行くようになっても、私の大学は始まらない、九月の前半なのですが。
なんか、今年はエンジンのかかりが遅かったですね。今、多くの大学で祝日にも普通に授業をしています。だから、新学期早々が秋分の日で、子ども休みなのに出勤。でも、マナトの学園祭で、午前中の講義終わるなり、そっちに行ったので、なんか、休みの延長気分。次の週は、どうにか普通に過ごせたものの、次は日曜日が台風で小・中・高・大、全部休校。但し、小・中は午後から登校。次の週も、本来、体育の日の筈が、2限から出勤。そしたら、2限始まる6分前に、警報が出て休校。それも、名古屋市だけで、周囲の他の市町村には出ていないのです。警報が発令されたら、運行しないと言われているスクールバスが、学生を一杯乗せて、日進キャンパスから星が丘キャンパスに来たのが見えて、
「走ってるんだ、良かったね。日進に取り残されちゃうと、帰るのに困る子もいますもんね」
と事務室で言ったら、
「日進は、警報出てないからですかね」
でも、日進の学部も休校です。
火曜日以降は、何回も授業してるんですよ、後期に入ってから。でも、月曜日の授業が無いといつまでも、新学期が始まった気がしません。自分の研究室も、ウィークリーマンションみたいによそよそしく感じます。マナト・カイトなんて、中間テストまで済ましてると言うのに。
などと、言っているうちに、二学期に犇めく行事が、次々と過ぎて行きます。なんだかんだで、何も無いから気が休まる週が無いんですよ。なんかかんかの用事があって、子どものうちの誰かが代休で家にいたり、早く帰って来たり。
今年は、オハラ家あたり年で、マナトもカイトも修学旅行があり、コトコは野外演習に行きました。行きっぱなしの旅行やキャンプはいいけど、付き添ってないといけない、試合や通院は、時間がどんどんなくなってくなあ。
でも、わかっています。それもこれも、十年後には懐かしくなっているんだって。
自分に活を入れて頑張りましょう。一杯仕事はあるんだ。
とりあえず、次の月曜日には、災害が起こったり、東山線が止まったりしませんように。