2012.11.11
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  NPO法人アスペ・エルデの会「楽しい子育て応援団」です 2012、11月号

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 北風が冷たい季節になりましたね。
 体調に気を付けて、今年を突っ走りましょう♪
 
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    堀田あけみ先生の「子育て応援エッセイ」 第78回
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◇◆遊ぶ子どもの声きけば

 最近、家に帰るのが、怖いような楽しみなような。
 マンションの横の陰に、秘密基地ができていて、それが日々成長しているの
です。毎日、撤収してるんですよ、当然。でも、昨日より今日の方が大きくな
ってるんだな。住み心地もよくなってそうだし。
 住人は、マンションに住む小学生。ときどき、カイト。ごく稀にマナト。
 当然、そんないいおうちに住んでいる子は、晩ご飯だっていわれても帰りた
くありません。帰るってことは、今日のおうちを壊すことでもあるし。親も、
目の前にいるわけで心配は無いから、ちょっと甘くなります。でも、流石にお
星様が出て来たら、帰ってもらおうかな。

 コトコは3年生です。実は、あまり友達と遊ばない子で、ちょっと心配して
いました。マナトは、2年生から4年生まで、下校後に自宅にいたことがなか
ったのです。私は、一行ずつの「二十年日記」をつけていますが、「2006年」辺
りだと、「マナト、今日は晴れなのに公園に行かず」と書いてあるくらいです。
雨が降っていなければ、いつも近所の(やたら人口密度の高い)公園に行って
いました。空手のお稽古のある日も、ぎりぎりまで公園で遊んでいました。
 5年生になって、周囲の子が塾に行き出して、月曜日と木曜日を除く平日が
六時間授業になって、なおかつ、マナトのようなインドア派は、インドア派同
士で誰かの家で遊ぶということを覚えてから、公園から足は遠のきました。そ
れでも、月・木には義務のように、誰かと遊んでましたけど。今風に言うと「汚
部屋」なのに、オハラ家集合の頻度も高し。理由は「親がつきあい易いから」。
 そして、公園との縁がすっぱり切れたわけでもなく、思い出したように公園
でも遊ぶんだよね。

 我が家の子ども達は社交的ではありません。それでも、マナトは何人か友達
がいましたし、ときどき新顔が現れたりもしましたが、コトコは本当に限られ
た子としかコミュニケーションをとりません。それも、自分から積極的には行
きません。たまたま数少ない仲良しさんが、全員学童保育に通っていて、帰宅
後に遊ぶ習慣がつかなかったのかもしれません。
 そんなコトコの生活が変わったのは、同じマンションに同い年の女の子が引
っ越して来てからです。一緒に学校から帰って来て、その道すがら約束をして、
帰って来たらすぐに出て行くようになりました。誰かの家に上がり込まないで、
マンションの前で遊びます。なんで? と思っていたら、どうやら合流するお
友達のためらしい。外にいないと「いーれーて」「いーいーよ」ができないもん
ね。家が近いので、飲み物やおやつ、玩具、次々追加出来るしね。
 マナト達がいつも公園にいたのも、同じ理由でした。誰とも約束していなく
ても、公園に行けば誰かいるという安心感を、皆で共有していたのです。

 公園に行ったマナトの帰宅時間に、私は結構シビアだったように記憶してい
ます。少しでも遅くなったら、叱ってたな。迎えに行ったり。
 今、コトコの帰宅にゆるいのは、見えるところにいる安心感と、もう一つ。
 この子がこんなふうに、無心に遊んでいられる時間の短さを、マナトとカイ
トで知ってしまったからです。だから今は、遊ばせてあげよう。
 私だって、彼女が外で遊び回ることを卒業したら、遊ぶ子どもを待つ醍醐味
を失ってしまうのです。ずっと憧れていた、「おかあさん」としての時間は、楽
しくて短かくて、役割が次々とお役御免になっていきます。最後に我が子を抱
き上げたのは、コトコが試合に負けて泣いた、3年前でした。あれでもたいが
い、重かったもんな。
 コトコが家の前で遊んでくれると、声が聞いていられるのも嬉しいです。遊
ぶ子どもの声を聞いていると、自分もうきうきしてくるって、平安時代から歌
われてることですもんね。五月蝿いとも言いますけど。
 それに、カイトも一緒に遊べるものいいなあ。見えないところへは、コトコ
が一緒でも不安だから。
 そろそろ、暗くなるまで本人達はたっぷり遊んだつもりでも、結構早い時間
に切り上げられるようになります。
 来年の夏は、何時まで遊ぶかな。

◇◆堀田あけみ先生の略歴
 1964年 愛知県生まれ。
 1981年、「1980アイコ十六歳」で文芸賞を受賞、文筆活動に入る。
 その後、名古屋大学教育学部に入学、卒業後、同大学院教育心理学科に進学。
 専攻は、発達心理学・学習心理学。特に、言語の理解および産出のプロセス。
 2011年現在 椙山女学園大学 勤務

【主な著書(現在、入手可能なもの)】
 「わかってもらえないと感じたときに読む本」「おとうさんの作り方」(海竜社)
 「十歳の気持ち」(佼成出版社)、「唇の、することは。」(河出書房新社)
 「泣けてくるじゃない」「あなたの気持ち」(角川書店)
 「マナティ 夢の人魚」「大草原のプレーリードッグ」(共著、七賢出版)
 「White Smile」(共著、ワニブックス)
 「発達障害だって大丈夫−自閉症の子を育てる幸せ」(河出書房新社)

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   小児科医 宮地泰士せんせいの「子育て応援エッセイ」 第78回
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まだ言葉を憶えはじめたばかりの子が、誰に対しても「ママ、ママ。」と言うよ
うになりました。しかしよく観察してみると、どうやら抱っこをせがんだり取って
欲しい物があったりする時など、要は誰かに何かを要求している時に「ママ、
ママ。」と訴えているということに気がつきました。つまり、その子にとって
「ママ」という言葉は英語で何かをお願いする時に使う「please(プリーズ)」と
同じ意味のものだったようなのです。確かに子どもにとってお母さん(ママ)の
役割とは、まさに“何かをお願いする人”なのでしょう。そして、何かをお願い
する(できる)人とは、信頼と安心が持てる人でもあるわけです。

親としては、あまり“お願い”ばかりされると疲れてしまったり、うんざりして
しまったりすることもあるでしょうが、それでも何も“お願いされない”よりずっと
幸せで、ありがたいことなのかもしれません。子どもは“お願いする人”がいるから
こそ、安心して元気に成長していくことができるのでしょうし、子どもが成長すれば
自分でできることも増え、さらに“お願いする人”が他にも現れるようになり、いず
れは親に“お願いする”ことも減ってくるのでしょう。だからこそ、幼い子どもに
「ママ、ママ。」とうるさく言われ、“お願いされる人”である時には、その信頼に
応え、そうしたお互いに大切な時期をしっかり満喫しておくことも、いいことないの
かもしれませんね。

◇◆宮地泰士(みやち たいし)先生の略歴
 平成7年3月  名古屋市立大学医学部 卒業
 同年4月    名古屋市立大学病院小児科 入局、勤務
 平成12年4月 医学博士号 修得
 平成15年4月 名古屋市児童福祉センター 勤務
 平成18年7月 子どものこころの発達研究センター 勤務
 平成22年4月 名古屋市あけぼの学園 勤務

【著書】
 ・可能性のある子どもたちの医学と心理学(共著)
   (ブレーン出版 石川道子、辻井正次、杉山登志郎 編著)
 ・直ぐに役立つ発達障害の診断とサポート(共著)
(東海小児心身医学研究会 発行)

◇◆子育てに難しさをお感じのおやごさん、専門家のみなさんを対象に、
 全国的に発達支援に関するセミナーを開催しています。
 詳細に尽きましては、順次、当会ホームページにてお知らせ致します。
   http://www.as-japan.jp/j/index.html

◇◆「専門情報誌」アスペハート誌のご紹介
 アスペハート誌は子育てに難しさをお感じのおやごさんたちに、専門的で
 先進的な知見をご紹介する専門情報誌です。発達支援に関わる多くの最新情報を
 掲載しています。詳細に尽きましては、当会ホームページをご覧ください。
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