2022.11.10
さて、そろそろ一周忌です。こちらの話題も今回がラストです。
と言うことは、告別式編です。
身近な人が亡くなるたびに、人が死ぬとは大変なことだと思い知らされます。
重大事件、と言う意味よりも、やることありすぎて大変、と言う意味で。
一番大変なのが告別式です。だって、さっさとやって燃やさないと腐るもん。
まあ、ですから、先に火葬だけしちゃうって言うのは、気分的には楽かもしれん、と思ってしまった今回です。
日にちで言うより、曜日で考えた方が体感しやすい気がするので(思い出しやすいし)、時系列を追っていくと、
水 死亡→斎場へ移動→火葬許可申請
木 子ども達帰宅→火葬
金 主治医の先生とドライブしてから帰宅
土 歩いて五分のT E A Rへ行って打ち合わせ
火 告別式、ついでに初七日
となります。ちなみに、告別式の午前中は、授業してました。
11月23日、勤労感謝の日を選んだのは、仕事や学校に穴を空けないためです。
父や夫の忌引休暇は、結構長いんですよね。帰省したりする人もいますから。
でもね。私からしたら。
何すんねん、そんな長期間。
多分、今後のことを話し合ったり、葬儀の後始末をしたり、することはいっぱいあるんだと思います。
今、せなかんか、それ。
正直、なんもしたくないんですけど。
家に家族といると、思い出して辛いんすけど。
仕事して、紛らわせたいんすけど。
あと、今、大学で一回授業休むと、災害だろうが忌引だろうが、教員がコロナだろうが、補講は必ずしないといけないんで。学生達に迷惑かけない為にも休みたくない。
「旦那さん、驚いてますねー、きっと」
と何度言われたことでしょう。
いえ、あけみちゃんらしいなあって、感心してますよ、きっと。
一杯喧嘩もしたけれど、私は夫が大好きです。
彼を急に失ったということは、彼とこれから一緒に過ごすはずだった、何十年かを失ったということなのです。その時間は、とても重い。
自分を見失って、何もする気が起こらなくなっても不思議はありません。でも、それでは困ります。学生達も、改組を控えた職場も、子ども達も。だから、私は自分の精神状態をコントロールする必要がありました。
その対策が、以下の二本。
無理はしない。仕事や家事ではしても、対人関係ではしない。
私のやりたいようにやる。
具体的には、葬儀は夫の遺志でもあるので、家族葬。よびたい人しかよばない。原則、まじで家族だけ。でも、行きたいと言ってくださる方がある。死ぬのと、葬儀の間が長いので、こちらの気が楽な一方で、他人に知れ渡って、葬儀に参列した人が多くなったのは計算外でした。
どこに線をひきましょうか。
私が来て欲しいと思ったら、来ていただく。思わなかったら、ご遠慮いただく。
義妹が勝手に人を連れてきたのも想定外でした。これは私の読みが甘かったと言わざるを得ません。同様な立場にある方は、対策を立てた方が良いかと思われます。私にとって、家族の単位は夫婦と子ども、彼と私と長男・次男・長女の5人です。だって、一緒の時間を実際に過ごしていますもの。生まれ落ちてから二十余年を過ごしたのとは、異なる家族の単位を形成しています。
夫の兄妹は独身です。ということは、自分を中心として親兄弟の家族の単位がまだ健在です。私としては、「うちの家族のことに口出ししないでくれます?」なんだけど、「私、家族ですけど」になります。いくらでも、口出す権利あるわってなもんで。
お墓だって、次男と次女の夫婦で、夫の方は兄妹独身、うちの姉夫婦は子どもを持っていない、ということで、唯一の後継者になるうちの子ども達に負担をかけないよう、我が家は新たに近所のお寺に墓を作り、先祖代々の墓はしまう、という方向になりました。それでも、しまうまでの間、あちらの墓に、夫の名前入れるそうです。こっちにお墓あるのに。私が死んでも入れないだろうな。入らなくて幸いだけど。
お香典は辞退でしたが、結果的には何通かの香典袋が残りました。調べてみたところ、長女が受付をしていたときには全て辞退、長男が断りきれなかったことが発覚しています。
香典返しは、まだ全部はしていません。まとめてするものだと思いますが、一人一人に手紙を書いています。時間がかかります。でも、私のしたいようにさせてください。世間の常識がどうでも。そう、決めました。私の心を保つ為に。
立ち直らない。
元気に笑って日々を過ごす私は立ち直っていません。立ち直る気なんかさらさらない。
本当に大好きだったんだよ。
前向くとか、立ち直るとか、そんなめんどくさいこと考えてたら、眉間の皺が伸びる間も無いわ。だから、ずっと抱えて生きてく。だから、笑ってられる。
コロナ禍により、葬儀は簡略化されました。最近、ちょっと戻ってきた。近所のT E A Rに、喪服姿の人が一杯入っていくのを久しぶりに見ました。
でも、格式ばってでっかくやらなくていい、という流れは、有り難いことにできています。相談すれば、家族葬も小さなお葬式も、こちらのリクエストに沿っていただけます。地域的なものもあるかもしれません。
私達の子どもは、こう言った式が得意で無いことが多いです。
長時間黙って座っていたり、決まった作法でお焼香やお祈りをしたり、宗派によっては銅鑼を鳴らしたりします。
今生の別れだって、多様性を認められる時代です。
大切な人と、きちんとお別れする為に。
その時間が苦行にならないように。
せっかくだから、利用しましょう。
立ち直る気なんか、さらさら無いっすよ。だから、へらへらしてられるんじゃん。
授業の前、自己紹介でそう言います。
不謹慎な人だ、と思われるかもしれない。
でも、娘も言っていました。
「自分を殊更に不幸だと思わないようにしてる。かっこ悪いから。親を亡くしてる子は、私以外にも結構いるもんだ」
教え子の中にも、親を亡くしたばかりの子はいます。
「先生が立ち直らないって、はっきり言ってくれて、楽になりました。私も無理はやめます」
こんな堀田でも、役に立つこと、あるんですよ。