2023.11.10
比較的、親子の分離はできていたと思うのですよ。母としても、娘としても。
ですが、母から見た私は、子ども達から見た私は、どうかわからない。
私は17歳で作家になって、仕事を始めましたが、東京に行くときはいつも一人で、何でも一人で決めていました。この仕事を受けるかどうか、親に相談はしなかった、というか、その発想すらなかった。担当の編集さんには、もちろん相談しました。
末期とはいえ昭和の話ですので、電話か手紙しかコミュニケーション手段がなくて、原稿の採用に至っては、電報でした。細長い紙っぺらにカタカナで書いてあるんです。それを郵便局の人が持ってくる。これが一番速い連絡手段でした。
だから、相談すると言っても、LINEで何往復もリアルタイムのやり取りなんぞはせず、本当にのんびりしたものです。多少、返事が遅れたところで、怒る人もいませんでした。
私が長男にかけた言葉を聞いたゼミ生(非常勤先の、なので男子です)がショックを受けたことがあります。自分だったら泣く、とまで言ったのは「君」という一言でした。
「君、夕食どうする?」
それは、大学で開催されたシンポジウムが終わったとき。一人で外食したいとか、あるかと思って。でも、
「自分だったら、そんな他人行儀な呼び方されたら死にたくなるし、親が自分と一緒に食事をしない選択肢を示すなんてあり得ない」
私は、小学校高学年くらいから、この呼び方だったけど、人は様々です。その他のことについても。二十歳越した男子の一人飯は普通やろ。次男でさえ、普通に一人で店入って食うぞ。
「なんでも自分で決めろはいいけど、決められないこともある」
これは、娘が中学生の時に訴えたことです。
小学2年生、極真空手の世界選手権の推薦がもらえたとき、出るか出ないか訊いたら、「出ない」と答えたので、出しませんでした。だって、体の大きなロシアやブラジルの女の子と戦うのは怖い、と思うなら、それは当然のことだと感じたからです。
「そんなこと言わないで、挑戦してみようって言って欲しかったのに。あれからもう、推薦もらえなくなったから、世界に挑戦する最後のチャンスだった。取り返せない」
と言われたら、今更そう言われても、とばかりは言えないこともあります。
今が幸福だからいいけど、長女が浪人しなければいけなかった理由の一つに、私学の受験数を絞ったことがあります。一番行きたかった学部の試験を一度しか受けませんでした。私学の試験は複数日あり、どうしても行きたい人は何度も受けるのです。
「お母さんが怖くて、もう一日受けたいって言い出せなかった」
不本意ではありますが、納得はします。
出願締め切りが近いのに、何も言わない娘に私は苛立っていました。
長男の入試の手続きは全部私がしました。なんなら、公立以外は受ける大学も私が決めました。今もその状態は続いていますが、余計な負荷を頭にかけると、抑うつ状態が悪化するからです。少なくとも本人はそう言っています。
だから、自分で資料を集めて、行きたい大学を示してくれた娘には、余裕を持った出願を自分でして欲しいと思っていました。親の勝手な期待で。
「そろそろ手続きしないと駄目じゃないの?」
という問いかけに、
「そう?」
と他人事のような答えを返された時点で、
「やる気ない子に出す学費はないよっ!」
と言ってもよかったんです。
でも、二つの理由から言えませんでした。
まず、やる気があるのかないのわからない長男に、2年浪人させ、そこしか受からなかったという理由で学費の高い芸術系の学部に行かせ、2期に渡り、学費は納めたものの、全科目失格となり、単位ゼロ、という生活をさせているのに、頑張り屋の娘に出さないという選択肢はありません。
そして、このときの娘は父親を亡くして、まだ2ヶ月も経っていない傷心の女の子でした。傷つけないように接していかないといけない存在です。細心の心遣いで。
「そうだよ、やろうよ」
でも、始めたところで、何を訊いてもはっきりと答えません。
「学部は、ここだよね」
「そこしかなくない?」
「何回受ける?」
「一回じゃ駄目?」
「複数回できるけど」
「さあ」
「どうする?」
「どうするって言われても(深いため息)」
ここで、何も言わずに文系全学部というカテゴリーで一回だけ受ける、という選択をしたのが私の間違い。例年、各学部別の方が合格ラインが低いそうです。
全部自分でやるくらいのこと、できないのかね、と思うのは私のわがままでしょうかね。あるママ友さん曰く、
「できるから駄目なんじゃない?」
とのこと。
「私、できないから、全部息子がスマホでやって、お金のとこだけ私のカード」
あなたのしたいようにさせるんだから、あなたがやってよ、じゃ駄目なのかな。
「あのとき、お母さん、本当にぴりぴりしてて、怖かったから、本心が言えなかった」
そのとき言えないんだったら、墓まで持ってけ。
私は母からそう言われました。つまり、私もそういう子だったんでしょう。
結局、別の大学に行くからと年間の授業料全部払った後で入学辞退して、浪人しました。そのときは、強く言いました。
「浪人しないんなら、未来永劫ずっと、本当はもう一回挑戦したかったって言わないね。大学生活って、大事なんだよ。納得して通うのと、そうじゃないのと、全然違うんだよ」
浪人すると決めたら、速攻で河合塾行きました。そのときも、私が引きずってった。
今思えば、私は子ども達の傷心ばかりに思いを馳せていたけれど、私自身が夫を失うという、一生に一度(多分)の大きな喪失を体験したばかりの、情緒不安定な更年期女性だったのでした。
あなたの為、と心底から思ってしたことが、実は私の為でした、というのはあるものです。そう気をつけていても、やっぱり私は見失う。
あなたは私ではない。
君は私ではない。
それを明らかにするのは言葉でしかないのですが、その言葉がうまく使えないこともあるのが、私の子ども達です。
だから様子を観察します。
例えば、普通学級か特別支援学級かを決めるとき。私達は、特別支援級を最初から望んでいましたが、教頭先生の勧めで、普通級も見学させてもらいました。次男が、どちらでより楽しそうにするか。
でも、あるタレントさんが障害あるお子さんの子育てエッセイで、このように述べておられました。
自分はそうしなかった。なぜならば、特別支援級の方が楽しいに決まっているから。普通の教室より、人が少なくて、広くて、いろいろな教材がおいてある方がどんな子だって楽しい。そこでの反応なんて、当てにならない。
そして、ダウン症のお子さんを普通級に入れる選択をします。
「これからは、インクルーシブ! 行け行け、ドンドン!」
といった文言があったように記憶します。
一番信頼できる、本人の反応を、親の物差しで当てにならない、としているわけで、これを子どもの為の選択だと言われても、鵜呑みにするわけには行かないと私は思います。
環境が整っていない概念だけのインクルーシブは、実はかなり危険なものだと私は思っています。環境、特に人的環境。「子どもに優しさを教える」とか言って、教員ではなく子どもに支援を丸投げするとか、一番駄目です。素人も素人、ど素人にさせてどうしますかって話で。子どもは純粋だという過剰な幻想を押し付けられては子どもが迷惑します。
支援が必要な子どもには、必要な知識を持った大人の支援者が、まず第一、子ども同士の交流はそれからです。ですが、そういった条件を満たす教員が充分にいるとは限りません。一緒に置いておけばインクルーシブ、というのは当事者を馬鹿にしています。
親というのは子どもを愛していて、人である限りは自分のことも好きで。人として好きかどうかはともかく、自分のことは可愛くて、自分の心は守りたいから。
ときとして、心の目を曇らせてしまう。
あなたと私は違う人なんだと、違う未来を見ているのだと、当たり前のことを確認しながら。
やっぱり私は今日も、成人した子ども3人を相手に親として生きています。