2022.09.10
うちの子に限ってなんて、この界隈にいたら、思うわけない。
そう考えておられる方も多いかと思います。
発達障害に関しては、学者によって医師によって、様々な説明がされますが、私は「今日できたことが明日できるとは限らない」ということもあります。
ただ、支援者として実感するのは、「うちの子に限って」という気持ちをお持ちの方はいらっしゃるし、進路についてお話ししても「うちの子には、もっと可能性がある」と言われることも多々あります。そう言った方は、それ以上私と接触することはありません。「〇〇で自閉症は完治する」とかいう謳い文句のところに行ってしまわれたり、そう言った書籍を参考に自己流の子育てを貫いたりなさいます。だから、その後の経過はわかりません。
次男は適応の良い社会人でした。それは、特別支援教育の中で、失敗を繰り返しながら育まれたものです。仕事をきちんとこなし、一人で余暇を楽しむこともできました。だから、私達は安心して一人で外出させてきたのです。そういうことをできるようにしていかないと、と思っていたから。
でも、いつ、何が起こるかわからないとも思っていたのです。
これは、大切な心構え。
何かが起こったときに、冷静に対処できるから。「うちの子は悪くない」と言わずに済むから。
我が子だから、信じてあげないと。親が信じなくどうするんだ。そういう耳に心地良い台詞は、言ってる側が気持ちよくなるだけなので。
聞いた側は、「あ、親がこんなんだから、こういうのができるんだ」と思いますから。
この界隈におられる方は、言ってる側が気持ち良くなる言葉に気をつけた方がいいと思います。「障害がある分、心が綺麗」とかね。「障害のある子は、ちゃんと育ててくれるお母さんを選んで生まれてくるの」とかさ。言われた方より、言ってる方が気持ちいいことに気付きましょうね。
さて、今回の顛末です。
まず、店長さん相手に念書を書きました。長久手イオンの敷地内に、今後一切入らない、というものです。
「しばらくの間?」
と次男は訊きます。
「一生。永遠に。死ぬまで。死んでも」
私は静かに笑って答えます。店長さんもお巡りさんも、何もそこまで言わんでも、という顔をなさっています。
「ここに来なくても、別のところに行けばいいんです」
推察するに、これは多分に形式的なものだと思います。いちいち、来る人来る人チェックしているわけではないと思うので。でも、私は今後一切、彼をこの施設に入らせるつもりはありません。本人にも厳しく言います。
人に危害を加える代償は、こういう制裁を受けるということなのです。
次に、警察に出す書類。何が起こったのかを簡潔に、穴埋め式で括弧に入れていきます。そこには「被疑者」という単語が書かれています。ここまで来ると、あちらさんも随分と気を使ってくださるようになります。
「被疑者じゃなくて、加害者でいいですよ」
警察としてはかなり大きな譲歩だと思うのですが、いや、保護者からしたら、どっちも同じだよ。なので、
「そう言われても仕方ないことをしたので、このままで大丈夫ですよ」
とお答えして、そのまま、書類を完成させて、この場は終わりです。
バックヤードから店内まで送っていただいて、帰宅しました。
つまりは、一生出禁とサブ前科。店にも、警察にも個人情報が行ってます。次やらかしたら、言い訳が効かない、と言うことです。
随分と下手に出るんですね、むしろ出過ぎでは。
と言われるかもしれません。
こっちが一方的に悪いわけではないのでは。例えば、子どもを泣かせっぱなしにしてる親に非はなかったのか。
それはね。
被害者のお父様と二人で待つ時間が長かったので、話すことはないから行動を観察していました。かなり苛立って、固めた拳で他方の掌を殴ることを繰り返しています。説明の中の妻の様子が一貫していません。ま、人間、そんなにブレずに行動することもないので。なんだか、奥さんに知られたくないことがありそうだなーと私は思っています。
次男に状況を尋ねたら、三回殴った、と言いました。彼の動作は緩慢です。ちゃんと見ている親なら、予備動作の時点で止めることができたと思います。
それが三回。
ちゃんと見てたかな。見てなかったとしたら、奥さんに知られたくないだろな。
心理学者で作家だと、ここまで妄想しちゃうんだ。
でも言いません。
「あんた、子どものことちゃんと見てたのか。拳骨だから良かったようなものの、これが連れ去りだったり、刃物持った凶悪な人物だったらどうするんだ。自分の子くらい、自分で守れよ」
こう言うときにこう言いそうな人、複数知ってます。
でも言わないが吉。理由は、言ってもこっちに有利にはならないからです。
自分をしっかり主張するように、とはよく言われます。もちろん、言うべきところでは言わなくてはいけません。でもね、ここでは手を出した方が絶対的に悪い。だから、何を言っても言い訳にしかならないので、下手な自己主張はしない。腹に収めることが大事です。
主張しろ、と言うのは、欧米的な観点でもあるわけで。
アメリカ人の夫と、子どもの親権を裁判で争っていた知人は、日米で戦略を変えていました。あちらでは、ばっちりメイクをして、セクシーな服装で、堂々と振る舞いました。日本では、ナチュラルメイク(すっぴんだと、みすぼらしく見えて逆効果なのだそうです)に紺のスーツで消え入りそうに話す。彼女曰く、アメリカでは新しい恋人がいた方が有利でもあるのだそうです。人間的な魅力がある証拠とされるとのことで。結果、アメリカで負けて日本で勝ったので、ずっと日本にいました。アメリカ行くと、連れ去りになっちゃいますからね。
損になる主張はしないことを、私はお勧めします。
そんなのは逃げだ、とことん戦う、と言う方がいたらどうぞ。
その代わり、尻拭いを他人にさせないでね。
あざといまでに、利用するものは利用するのも私の主義なので、「父が亡くなったばかり」も利用しました。一応の理由は、聴覚過敏なんですが、
「父親の言うことを聞かない子に苛立ったのかもしれませんねー、父親が急死したばかりなので」
次男も、私が改めて理由を訊いたときには、こう言ったのです。
「我儘だったから。『僕も、ぼーくーも』って言ってたんだ」
構ったれよ、父親。
以来、ツジイ先生の指示で、一人での外出禁止。
これで、本人もストレス貯めとるけど、周囲への負担が大きい。ずっと家におるし。おつかいにも行ってもらえない。
あれから二ヶ月、近所のお寺までなら行っていいことになりました。
つまり、お寺までの間にある、コンビニくらいなら行っていいってことですかね。
大好きな養老公園まで、一人で行くまでの道のりは遠いぞ。
それも含めて、自分のしたことがどう言う結果を生むのか、身に染みていてくれますように。
それから、タイトルはここのところ、お世話になっている講談社さんのサイト「大人の週末」とかけてみました。亡夫の撮った、アザラシくんとシマエナガちゃんの写真をプリントしたTシャツ売ってます。気が向いたら、覗いてみてくださいませ。