2022.05.10
さて、前回、がんで入院した夫に会う為に網走と名古屋を行ったり来たり、そこで、成長してなんでもできるはずの子ども達が、やっぱり、あれやこれやのトラブルを抱えて、という話をしました。
そして今回、夫の死に子ども達がどのように向き合ったかをお伝えしようと思って、原稿を進めていました。
立ち直ったつもりでしたが、結構、辛い作業でした。
変化を受け入れられなかったり、多くの人の出入りでストレスを感じたり、お鈴や木魚の音を嫌う子もいるのが、この界隈です。
何よりも、目の前で人が死んでしまう、二度と会えない人になってしまうことに、どのように対応するかは、個人の経験談でしかありませんが、お伝えしておく価値はあるのでは、と思っていました。
頑張ってましたよ。でも。
消えましたわ。データが。
いや、私が悪い。全面的に私のせい。
何度も、こういうことがあったんです。その度に、マメにデータをセーブするように心がけてました。それも、二箇所に。しかし、遅まきながら、機械音痴の私も「元に戻る」をクリックすることを覚えました。遅いね、うん。でもな、大体のデータは、これで復活するんだぜ。てなわけで、「保存」をクリックすることをさぼってたんだな。
ことの起こりは、夫の追悼ブームです。有り難いことに、私の夫で、子ども達の父である「写真家・小原玲」は、アンチも多いが、愛されていたらしく(まあ、アンチは愛の裏返しだし)、亡くなってから、雑誌やテレビで特集が組まれたりしました。生前から予定されていた写真展は、高校の同級生の皆さんがクラウドファンディングで資金を集め、より盛大なものにしてくださいました。皆さん、社会的に責任のあるお仕事についておられるのに、ボランティアで会場のスタッフも担当なさっていました。
何分、急に亡くなったものですから、写真展の他にもB Sのテレビ番組「ワイルドライフ」も生前からのもので、落ち着いてから「あさイチ」の企画が立ち上がりました。そのどれにも、夫が残した写真や動画のデータを提供する必要が出てきます。
それらのデータは、とんでもなく膨大で、そして。
整理の仕方が下手!
うちの夫、かつて出版されていた発達障害の本人と家族の為の雑誌「アスペ・ハート」で、整理整頓ができない人の特集組んだとき、例として登場しましたが、面目躍如。いや、躍如すな。
ファイル名見ても、何が入ってるかわからない。
やたら、娘の名前のついたファイルが多い。
夫の著作権は、全て長男が継承しました。
休学中とは言え、デザイン科に在籍する彼は、デジタルの画像や動画のデータの扱いは上手かったし、定職のある次男や、大学を卒業したらおそらく普通に就職するであろう長女と違って、10年近くも鬱を拗らせている存在です。普通の企業は、20代半ばの職歴なしの高卒男性を雇用しようとは思いません。父親の遺産、お金はないので、データを使って利益を出せるなら、それは長男が受け取るのが一番有効な使い方だと言えると思いました。
長男の行末は、夫が最も気にかけていたことの一つに違いないのですが、父親を失ったことによって、社会的な役割を負うことになり、愚痴をこぼしながらも、要求に応えるよう頑張っています。
本当に、何がなんだかカオスなデータ群の中から、あれはこれは、と遣り取りするのですが、その打ち合わせに私も参加することも多くて、私の方にもデータが送られてきます。放送局のデータは画素数が大きくて重いのです。でもって、文字しか使わない私のP Cはそれほどの機能を持っていないのです。画像と動画を大量に処理することが最初からわかっている美術系大学推奨のP Cと違って。要は、開かんのよ、データが。
四苦八苦した末に、息子に君のP Cでデータ見せてよって頼んだら、えー、こうすれば開くよってこっちのP Cいじってだね、あ、再起動させた方が良いかなって、勝手にリセットしたから。
開きっぱなしのデータが消えました。自動保存とか、開きっぱなしだと機能しないんですね。
リセットの前に一言言えよ、とはとても言えません。
彼が入学時にくどいほど、データのバックアップは常識以前の問題、と教え込まれて、忠実にそれを守っていることを知っているので。
え、バックアップ取ってないのは、全面的にお母さんのミスじゃん、と言われたらそれまで。いや、それを言えなくて、忙しいお母さんのデータ消してしまったとか、更に鬱を拗らすようなことになったら、こっちも救われません。
というわけで、何も言わず書き直そうと決意したわけですが、死に直面する家族を時間置かずにまた書くって、結構、罰ゲーム的に辛い。締め切りすぎてから書き始めて、更に作業が進まないということになる可能性が高いと思いまして。
結局、別の話で乗り切ろうと決意して現在に至ります。
かつて、「僕の歩く道」というドラマがありました。当時S M A Pの草g剛が成人した知的障害を伴う自閉症の男性を演じたものです。夫と一緒に見ておりました。よくできた作品だったと思います。今、思い出してみても当事者から見て秀逸だと思える演出がいくつもありました。
主人公の青年は、どこで仕事をしても人間関係が上手くいかず、長続きしません。彼が動物園に就職するところから、物語が始まります。幼なじみの獣医さんの力を借りて、周囲の人達の理解を得て行きますが、なかなか折れない上司がいました。
その人は、やはり知的を持つ障害ある子の父です。父でした。
次々と問題を起こす我が子に耐えきれず離婚をし、それ以来、息子にもあっていません。
その上司は、動物園が開催したバックヤードツアーの参加者の中に、息子の名前を見つけます。上司はそれと知らずにやってきた息子と再会し、迎えにきた母親と何も言わずに挨拶だけを交わします。このとき、息子を演じていたのが浅利陽介さんで、夫は、
「あの子、本物だよね」
と最高の賛辞を送っていました。んなわけあるかい。
イベント終了後、上司は主人公に訊きます。
「お父さんは?」
「お父さんは、遠いところへ行きました」
上司は父親の死を察知します。しかし、主人公は続けます。
「いつ帰ってくるのかなあ」
「待ってるの?」
このときの上司を演じた小日向文世さんの演技も素晴らしかった神回です。
何より素晴らしかったのは脚本でしょう。常識的に用いられる比喩表現が、彼らには通用せず、何年も字義通りの解釈をしていた、それでも日常生活には何の支障も来さなかった、という流れを、すぱっと描いてくれました。
遠くに行った、で良いのかもしれません。いつか帰って来ると、死ぬまで待っていられるのなら。帰って来ない、と癇癪を起こしたりするのであれば厄介です。「死」を認識してもらわなければいけません。
我が家の場合は、祖父の死を先に経験していました。彼は異様なほどのおじいちゃん子だったので、祖父の不在をどう受け止めるか、心配でしたが、8歳の彼は、言いました。
「おじいちゃんは風になりました。もう会えません」
彼が、どのように「死」という概念を理解したのか、理解しているのかはわかりません。でも、「もう会えない」ことは把握しています。父もそうなのです。もう会えないのです。
概念の理解は不要だと思います。「二度と会えない」そう理解して、得心することができれば。
何故、会えないのかと訊かれても、理由はありません。
中学のとき、変わった国語の先生がいました。古文を習う際、動詞の活用とか、係り結びとか、現代語には無い已然形とかについて、どうしてそうなるか、
「なんでーでも、どうしてーでも」
と、いつも言っていました。
それは、正しかったと思います。
誰かが死んでしまったら、二度と会えない。それは、なんでーでも、どうしてーでも、なのです。