2022.03.03
 10月の最終土曜日、お昼ご飯を食べているときでした。家の電話が鳴りました。今や、知人からの連絡で鳴るのはスマホばかり。普通の電話が鳴るのは、良い知らせではないときです。

 数日前から、白血球の数が激減しているのは知っていました。調べてみたら、副作用としてあることだと出てきました。ただ、LINEの文にミスタッチが多くなっているのは、気になりました。せん妄の症状も出ているそうで、主治医の先生とLINEや通話でやりとりすることも多くなりました。
 でも、次の週末には戻ってくるはずでした。
「迎えにきてよ」
 という場所が、セントレアから新千歳になりましたが。
「土曜日だから泊まってもいいよ」
 と言ったら、
「いいね」
 って、のりのりになりました。車椅子で空港内、あちこち行けるよ。病院では美味しいコーヒー飲めないんだ。スタバ行こう。美味しいアイスクリームも一緒に食べよう。子ども達へのお土産、二人で選ぼうよ。僕のはいつも、微妙な顔されるんだ。あけみちゃんのセンスで見てよ。空港にホテルもあるから便利だよ。
 そんなやりとりの次の日には、アマゾンで買った車椅子が届きました。
「車椅子持って迎えに来てね」
 結構、楽しみにしてたんですよ、私も。私は私で、介護用ベッドを買いました。私達夫婦は、居間の続きの和室に布団を敷いて寝ていたんです。ベッドを買うと言ったら、
「食べるときとかは、背中にクッションを入れればいいよね」
 と言ったので、慌てて、
「ちゃんとリクライニングできるベッドだよー」
 と知らせました。子どもみたいに喜んでいました。そのベッドが到着する日、一緒に設置してねと頼んでおいたのに、長男は一日中寝ていました。鬱がひどくなり、休学している彼は、そういう日があるのです。だから私一人で、梱包を解いて、玄関前で組み立てて、折りたたんだ状態で廊下をゴロゴロ押して、和室に据付けました。偉い。
 これで、いつ帰ってきても大丈夫です。

 電話は病棟の先生からです。主治医の先生は外来なのです。それから、ご自身の抗がん剤治療のために二週おきの週末は、関西に戻られるので、その間は不在です。「意識消失」と伝えられました。原因は不明。一度、会ってお話しした方が良いとのことです。
 私は月・火・水の午前中に集中して授業を入れています。こうしておくと、木・金・土を使って、遠方での仕事を入れられるのです。今回は、それを使って、水曜日の授業が終わってから、一泊で網走に向かいました。子ども達が自分で何でもできるようになってくれたのが幸いです。二ヶ月ほど前、久しぶりに一人で飛行機に乗って、彼に会いに行った空港へ行きます。でも、このときは不安もあるけど、会えるなあって期待の方が強かったのです。
 強いと、思おうとしていたのかもしれません。
 だから、機体の都合がつかず(コロナ以降、この理由が多いらしいです)飛行機は遅延して、網走着が一日延びた上に二泊になっても、夫が「あちこち行ける」と言っていた新千歳空港で、アイスクリームの写真撮って娘に送ったり、お土産屋さんを巡ったりして、普通に会いにいっただけ、というポーズを崩さなかったのかも。
 初めてのP C R検査、久しぶりの彼。
 意識は、月曜には戻っていました。
 鼻がもげるかって検査して、2時間待って陰性わかって、会えたのは10分。だけど、会えました。動く、話す彼と直接会った最後です。
 頻繁にLINEして、電話で話していた主治医の先生と病棟の先生から、この後、説明を受けました。

 事態は、思ったより深刻。
 というより、彼が何もかも斜め上、というべきでしょうか。体力がとても落ちている。自力歩行が、どんどんできなくなっている。免疫力も弱い。
 見たところ、頑丈な60歳の男性、つまりがん患者としては若い方なので、それ相応に効果の強い薬を使ったのですが、反応が次々予想を裏切っていくようなのです。
 何より、脳の萎縮がひどく、90代のくらいそれだと。特に、前頭葉がダメージを受けているとのことでした。となると、怒りっぽくなってるはずだし、通常でもすぐに頭に血が上るし、そうなると感情の制御が効きません。私もどれだけ、怒鳴られたことか。でも、手が出ることはありませんでした。そういうときは、はい、過活動せん妄に入りましたーって流していました。となると、病院のスタッフさんにも、随分、ご迷惑おかけしたのでは、と思います。
 若い頃アル中だったから、その影響だろうと本人は言っていたそうですが。
 言っただろうがよ。脳は糖で動くから、断糖なんて危ないって。3年間、糖質ほとんど摂ってないんですよ。脳も縮むし、筋肉も落ちるわ。腕とか、へろへろだったもの。しっかり食べて、任天堂スイッチの「リングフィットアドベンチャー」で筋トレしてる私は、振袖みたいだった二の腕が、留袖レベルになったというのに。
 ついでに、吸水シートも不要になったというのに。
 この時点では、網走に通って治療するつもりだったのを、名古屋拠点にしましょう、という相談でした。いつ名古屋に移動するかも、
「あー、11月は10日までリフォーム工事なんで、その後って言ってましたけど、この際、体調整ったら、いつでもいいです」
 という状態でした。名古屋でも入院は必要になりそうだけど、まずは家に帰れるといいね、とも。病院で、どうにもこうにもならなかった人が、家族の元に戻ったら、しゃきっとすることなんか、珍しくないですよーとも。
 病院から出るときには、泣いてしまったけど。
 私は、一緒に生きる道を探してここに来たのでした。

 でも、家では結構なトラブルが発生していたのです。
 私は、やはり、次男に何ができて何ができないのか、甘く見ていたのだと知らされました。


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