2023.12.10
 私のゼミでは、半期に一度、発表の当番が回って来て、90分の授業を一人で回します。講義をしてくれても良いのですが、みんなに意見を求める流れが多いです。その中で、進路をどのように決めたか、というものがありました。
 前回、私は書きました。「あなた」は「私」ではないのだから、あなたの進路はあなたで決めてほしい。
 ところが、女子大のせいなのか、「親に決めてもらった」という人が予想外に多かった。当然のように「親が決めてくれました。何もわからなかったので」と答えます。「決められた」のではないのです。「決めてくれた」のです。そこには、自分で考えなくても済んでラッキー、との流れさえ見えます。
 やばいっすね。
 自分で決めないと。
 決める癖をつけておかないと。
 選択するのにも、能力が必要です。能力は訓練により、伸びるものですから。

 選択する能力を伸ばす努力をしておかないと、いい大人になってから苦労する、というか周囲に苦労をかける、と実感している昨今です。
 私は、高校時代から仲良くしている3人の友人がいます。1人は既に、鬼籍に入りました。もう1人、病気を宣告されている人がいます。人生100年と言われている時代に、50代で3人のうち2人を失うとは、と後ろ向きな気分にもなってしまいますが、物事はそんなに牧歌的なレベルで移行していないのです。
 治療法を決めろと私に迫ってくる。ちゃんと考えて。間違えたら、私、死ぬかもしれないから。
 いや、死ぬかもしれないから、自分で決めやーよ。
 私、決められないもん。だから頼んでんじゃん。

 私は、夫がお世話になった先生方と今でも、一緒にライブや食事に行っています。食事はともかく、ライブまで行くか? と言われますが、主治医の先生は網走の方、ライブと学会で名古屋に来てもらわないと会えませんから。今年も、夫の命日がちょうどクレイジーケンバンドの名古屋公演だったので、2時間半のスタンディングの後で、日付変わるまで飲み倒しました。私はアレルギー持ちなので、お茶で。因みに、お二人とも女性で酒豪です。
 その際に、件の友人の話をしたところ、「いますねえ」との反応でした。
 お任せします、と言われることが多々あるのだそうです。こちらは素人だから、専門家にお任せします、と。任されるわけにはいかないので、説明しつつ、選択をお願いするのですが、できない、と答えられることもあるとか。
 だけど、最終的には自分で決めるしかない、という、至極当然の結論をいただいたので、彼女にもそう言ってみたところ、大変な勢いで文句を言われました。
 知ってるでしょ、私が優柔不断なの。メニューだって、自分で決められないんだよ。

 そうそう。
「何食べたい?」
「なんでもいい」
「じゃ、パスタは?」
「パスタは嫌だ」
「なんでもいいんじゃないの?」
「なんでもいいけど、パスタは嫌」
「中華?」
「それも嫌。それ以外」
「じゃ何がいいの」
「なんでもいいって言ってるじゃん!」
 いつもそんな感じでした。
 そして結局、食事してる最中に、やっぱり中華が良かったかなーとかいうの。
 それを、病気の治療法に持ってこられるのは、本当に理不尽。だって、上手くいかなかったとき、やっぱりあっちの治療法が良かったんじゃん、なんであっちを選んでくれなかったのって言われるのは見えていますから。
「絶対に文句言わない」
 いや、言うよ。あなたはそういう人。

 大学院時代、ある先生が教えてくれた話ですが、指導していた院生さんが結婚して、新婚旅行先で奥さんに12足の靴をプレゼントしたそうです。ブランドものの高いやつ。バブル全盛期でした。
「そんなに沢山もらっても、困りません?」
「奥さんが欲しがったそうや。同じデザインで全色」
「なんで!?」
「決められへんかってん。やばいやろ」
「やばいっすね。そんな我儘、ずっと聞いてられんでしょう」
「いや、我儘はええねん。ようないけど、ええねん。カミさんに選択能力がないっちゅうことは、この先、一事が万事そうなるっちゅうことやで。今まで、選ぶことを強いられんと生きて来たんや。人生を決められへんねん。パートナーとして、きっついで」
 つまり先生の危惧は、選択能力のない彼女は、プロポーズに対しても「承諾するかしないか」との選択肢を持たなかったのではないか、という点にあったのです。
 プロポーズされたから結婚する。
 結婚するからには盛大な式を挙げて、ヨーロッパに新婚旅行に行く。
 全ては「流れ」であって、選択ではないのでは。
 まあ、それは杞憂だったようです。
 半年で離婚する、という選択はきちんとできたようでした。

 自分での選択が難しい人もいます。その場合は、サポートが必要です。
 私は次男のことをそうだと思ってきました。今でも、敢えて意見を訊かないことがあります。質問されたことが、既に拘束力を持ってしまうこともあるからです。例えば、目の前にチョコケーキとチーズケーキがあって、
「チーズケーキを食べますか?」
 と訊かれたら、チョコケーキを食べたいときでも、
「チーズケーキを食べます」
 と答えてしまうような傾向です。
 だから、ケーキを買うとき、家族分5個を選んで、
「5個でよろしいですか」
 と店員さんに訊かれると、いけないのかと思ってしまって、
「6個がいいです」
 と言って、もう一つ選んでしまう。
 我が家では、大皿に最後の一つが残ったとき、「食べていい?」とは訊かないことになっています。そう聞いたら、必ず次男が「僕が食べます」と言うから。ではなんと言うか。
「あ、一個残ってる」
 と言ってから食べる。一度、長男が次男が食べてしまったと思ったものが、思いがけず残っていたときに言ったものです。それ以来、定着しています。「誰が食べますか」ではなく、「僕が食べます」の意思表示です。一瞬、笑えちゃうので、喧嘩にもなりません。
 次男は、沢山食べる上に食べ方がゆっくりです。何度も口の中を噛んでしまって、口内炎に悩んでいたので、「早く食べるからだよ」といって以来。だから、付き合っていられないので、食事時はいつも、彼を置いて皆が食卓を離れてしまいます。私が席を立ったときには、結構沢山残っていたものが「ごちそうさまでした」の声で片づけに戻ると、全部なくなっています。平日には、食パン一枚とオムレツ、フルーツヨーグルトを20分で食べて出勤しますが、休日の朝には1時間くらいご飯食べてます。彼は、目の前のものを選択して食べることができているのだろうか。
 だけど、いらないときはいらないって言うことは最近何度かありました。自分から「これが欲しいです」ってスマホを見せて、服やゲームを買うこともあります。
 結構ちゃんと選べるようになってきました。

 長男は、積極的選択能力はあるものの、任せておいてはいけないタイプです。こちらもサポートしましょう。
 ものを買うとき、「これが欲しい」との主張は強いのですが、それが持続しません。小さい頃は玩具をねだっても、買ってしまうと遊ばないとか。大人になってからは、紅茶が好きなので、珍しい銘柄を買いたがるのですが、買ってしまうと飲まない。それでもって、半年後に「あの紅茶どこ?」って飲み干したわ。
 そして、ファッション関係は、壊滅的です。これがいい、と主張するもの悉くダサい。色も紺ばかりだから、ほっとくと全身紺色で登校する。忍者か。それより、デザイン学科の学生としてその色彩センスはどうなんだ。今、愛用している霜降りのスニーカーも相当なものです。実家で母から、「あのセンスは、あんたのものか、あの子のものか」と確認されました。私なわけないだろ。
 引きこもりがちなので、なかなか靴が劣化せず、買い替えるきっかけがありません。次男はもう3回くらい買い替えているのに。
 できるだけ助言した方が良いタイプ。キーワードは「良い」より「似合う」。

 子どもの自主性を大事にするのは良いけど、自主性だけで上手く行くと言うのは幻想で。
 だけど、押し付けてばかりもいられない。
 多分、一番いけないのは、子どもに選ばせてるつもりで、結果的に押し付けちゃうことなんだけど。
 どこまで干渉するかを見極めながら、ちゃんと選べる大人になれるよう、選択の機会を重ねて行かなくては。
「みんながみんな、自分みたいに、すっぱり選んで決められる、なんて思わないでよ」
 最初に紹介した彼女は言うけど、やはりあなたが決められなさ過ぎると思うんだ。
 私が、ものすごく思い切りの良い人間だというのは否定しないけど。
 
 でなきゃ、戦車の前にカメラ持って立つような男と結婚しないって。


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