2021.10.10
でっかい波が来たお陰で(第何波なのか、もう忘れました)、早々に後期の最初二週間は遠隔授業と決まっていました。ですから、後期が始まっても朝の時間にゆとりがあります。
大学の教員は自分で時間割を作れます。私は全ての授業を午前中に入れていて、かなり異色の教員です。普通、1限目は結構避けられるのです。このような時間割になっているのは、午後をまるっと空けときたいから。家は近いし、どうせ早くから起きて家事をしているんだから、その勢いで仕事に雪崩れ込みたい。そして、午後を空けておくことで、各種のセミナーや取材、打ち合わせ等のスケジュールが入れ易くなるのですね。遠方に出向くこともできます。堀田、多角経営なので。
通勤が始まると、1限のある日は結構ばたばたしますが、それでも可愛いものです。
子ども達が小さい頃は、文字通りの戦いでしたからね。
一番ハードだったのは、長男と次男が幼稚園に通って、長女が乳児だった時期です。全員、一人で身支度が出来ないので、順にしていくわけですが、靴一つにも手間がかかりました。
長男に自分で靴を履かせておいて、私は次男の靴を準備します。私の方が先に終わるので、長男の靴を手伝います。その間に、次男が靴を脱いで居間に戻って遊び始める。長男から履かせると、一人で行っちゃうし。大声で、
「一人で行っちゃ駄目だからね、お母さんと一緒でないと危ないんだよ」
と延々と引き留めながら、再度次男の靴を履かせます。その間、娘は憮然とベビーカーに鎮座している。今思えば、既に当時から、
「しゃーねーなー、うちの男どもはよ」
とでも思っていたのかもしれません。
因みに、折角履いた靴を脱いで、居間に戻って何をしていたかというと、PICOというテレビに繋いで遊ぶ絵本型のキッズコンピューターの電源を入れていました。調べてみたら、今はもう無いそうです。タブレットの方がずっと優秀ですもんね。出かけるからと切った電源を入れるのです。「セーガー」という起動音を毎朝何度も聞かされて、未だに私はあの起動音が苦手です。
それから、ベビーカーの両脇を持たせて、幼稚園に向かいます。このときは大変だと思いましたが、これからどんどん大変がパワーアップして行きました。曲がりなりにも、このときは三人で同じところに向かっていたわけです。
それぞれが、違うところに向かう準備をしていた時期もあるので。
長男・小学校、次男・幼稚園、長女・保育所とか。小学校も低学年(特に男子)は、手をかけないと準備が進まないことも多いのです。忘れ物多いし。うちだけか。違いますよね。それを送り出した後で、幼稚園に行って保育所行って出勤。逆になることもあります。幼稚園って、8時45分からでないと預かってもらえなかったし。今は、もっと早くから行けるし、4時までだった延長保育も6時までお願いできるそうです。何なら、大学の隣にこども園ができたので、昼休みに遊びに行けます。乳児だったら、確実に授乳に行けた。
夫が家にいるときは、育児への協力はしてくれる人だったのですが、いないし。
今、一限に出勤する為の一番のネックは、鬱状態の長男だったりします。
朝、起きられるかどうかを確認して、起きたらご飯の準備、全然起きなかったら放置でいいんですが、意識があればフォロー。これが、結構時間かかっちゃって。大学行くときは、電話で起こしたり。
でも、今季から二度目の休学するんで、楽になりました。本音言うと。
結局、こいつがいつの時代も、一番の時間食い虫か。
とも思えるのですが、いつまでも母親でいさせてくれるとでも言っておきましょうか。
ただ、有難いことに我が家の子ども達は、家から近い場所に通っています。田舎から高校や大学のあるところまで、早起きして通っていた私とはそこが違う。
早起きしてた私も偉かったけど、朝ご飯とお弁当を作り続けてくれた母も、偉かったのだと思うこの頃です。
あんなに大変だったのに、どうして今、こんなに懐かしいんだろう。