2020.12.10
発達障害の診断が出る年齢は様々です。かつては、乳幼児健診で見つからなかったら、そっから先はなかなか、という感じでした。何か問題があっても、障害とは結びつけて考えなかったし、教育者の側にも障害の可能性を考えるのは悪いことだという発想がありました。
うちの次男について、
「障害があったって、いいじゃないですか。僕は気にしたことないな」
とおっしゃった保育士さんが、別のお母さんから、
「うちの子、ADHDってのじゃないかと心配してるんだけど」
と言われて、
「そんなこと、お母さんが考えちゃ駄目だよ! こんな良い子に障害なんかあるわけないじゃない」
って答えたり。その場に私がいるのに。
長男にも、その傾向はあるので、
「発達障害の可能性も考えています」
と担任の先生に言ったら、
「そういうことを考えないで指導して行きたいと思います」
と返されたり。
診断は出てないし、本人はそんなこと想像してすらいないけど、明らかに、どう考えてもアスペです、ありがとうございます、というゼミ生の指導が大変そうだね、と言われて、
「専門なんで、お任せください」
と胸を叩いたら、
「いくら大変でも、学生の悪口はいけないよ」
と非難されたり。え、うちの倅が自閉って、ご存知ですよね。あと、悪く言われて可哀想だと思うんなら、いつでも引き取ってくださいよ。小説書くゼミなのに、小説書く気なんかないんだから。
因みに、彼女がうちのゼミに来た理由は、「お母さんが堀田ゼミに行くように言ったから」です。「障害児のいる可哀想な人だから、そばにいて慰めてあげなさい」。そうか、お母さんは気付いてたんだな。でも、今更だったんだな。
今は、大きくなってから診断が出ることも珍しくありません。なんなら大人になってからでも。
それでも、多くのケースで就学前には診断が出ています。ですから、節目節目に進路の問題が生じます。
まず、幼稚園と保育園。
診断が出ていれば、保育園という選択肢が一般的です。加配保育士がつきますから。幼稚園だと、加配の先生は必ずつくとは限りません。
移動の手段を考えると、保育園では親と一緒に登園することになります。幼稚園だとスクールバスが走ることもありますね。こちらは、送迎が家の近くのバス乗り場までになります。
ここから既に、移動手段の獲得を考えている親御さんもいらっしゃいます。
障害のあるお子さんではありませんが、長男の幼稚園の同級生で、そのまま付属の小学校に進学する予定だからと、遠方からの通園はほとんどの方がベンツ使用(トヨタ乗れや)の中、電車通園をされている方がいらっしゃいました。小学校は幼稚園の隣ですから、入学と同時に一人で通学できます。車できた方が楽だったとは思いますが、先を見て、電車を選択されたのですね。
我が家は幼稚園を選択しました。これは、きょうだいは環境をシェアしてほしいという私の考えです。職場の付属の私立幼稚園ですが、幸い診断書があれば加配の先生をつけていただけました。そして、歩いて通いました。雨が降っても、風が強くても、寒くても暑くても。雪の日に夫がソリで連れて行ったことはありました。クラスの半分しか登園しておらず、隣の公園でソリ遊びをしたそうです。
ここで、きちんと歩くことを学習しました。毎日、しっかり歩くこと、とても大切です。
体力には個人差があります。我が家の子ども達は、もともと体が丈夫です。熱も滅多に出しません。働く母親にはありがたい体質です。体力もあります。運動能力はありません。
その体力を、きちんと活かせるように心がけてきました。
体力があるから、職場でも評価していただけております。
子どもと一緒に歩くことは、その子の持つ生活していく上での潜在的な体力を知ることになります。
将来、自分で免許を取って、車を買うことができる子もいます。でも、自分では運転できそうにない。かと言って、福祉車両のケアできる範囲にもいない。そんな大人になる層には、どこまで歩けるかを把握することは、大きな問題です。そして、個人のポテンシャルが許す範囲で鍛えていくことが、大人になってからの行動範囲を決めます。
日本のほとんどの場所は、交通機関と徒歩を組み合わせたら行けるんです。でも、どれだけ歩けるかで、利用できる交通機関も変わってきますから。
それを私が実感するのは、教育実習の巡回指導をするときです。今まで何度、駅からバス停から、延々歩いたことか。特に岐阜県で。そういう学校の近くでは、タクシー会社に電話して、場所言っても断られます。他の先生は、そういうときには車で行かれますが、私は運転できないので。先日も、
「駅から歩いてきたんですか!」
と驚かれたばかりです。幸いその日は天気が良いので、気持ちよく歩けました。
そんな環境に強い堀田ではありますが、流石に3回続けて登山(まあ、単なる長い坂道)させられたときには、
「もう登山嫌だあ」
と駄々をこねて、しばらく併設校(中・高は付属ではなくこう呼びます。ちなみに家から徒歩5分)担当にしてもらいました。
さて、小学校は通学団で、中学校は一人で、学区通りに学校に通った次男ですが、次の選択は高校進学でした。
ここでの体力問題は、次回に。