2024.11.08
心理学の授業で、男らしさ・女らしさについて話すことがあります。以前は、男は男らしく、女は女らしくは常識で、今も「らしくしなさい」と言われることはあります。言う側は、さも当然であるかのように言いますし、それが時代にあってないと言われると、昔は良かったモードに入ります。
口に出しては言わないけど、「いかにも、らしいな」とか「らしくない人だな」というのはあって、それに当てはまる人は如何ともし難い何かを醸し出しているようです。
例えば私は、雨の日に傘を差して正門で降園するお子さんのお見送りをしていると、年長男子に傘に溜まった水をかけられます。なので、園に用意してある大きなビニール傘で防御します。最近では、向こうが2階にある保育室から室外階段を降りてくる段階で、こちらの隙を狙っているのがわかって、複数での襲撃を計画しているのもわかるので、怠りなく対策しております。
幼児相手だからと言って、わざと濡れてあげるなんてことはしません。
ただ、歴代の園長の中で、水をかけられるのは私だけだそうです。水をかけても良い何かを醸し出しているらしい。
それから、大学に勤めているというと、事務員さんですか、と訊かれることが多いです。ときどき学食勤務かとものすごくピンポイントな切り返しがあります。そういった場合、教員です、と答えた後での、「教授?」の声が裏返っている確率が異常に高い。これは、私が大学教授らしくないというよりも、そもそも世間一般に広がっているイメージが実像とかけ離れすぎてるのが原因かと。アスペ・エルデの会の周辺をご覧になっても、いかにもな大学教授はいない。少しだけ、いるけど。
ただ、その「らしさ」は人を救ってくれることがあります。例えば、発達障害を持つ女性が「女らしい」服装と仕草を少し身につけると、周囲から浮くことがなくなったり。
男性の場合は、そもそも「男らしい」の定義が「女らしい」に比べて曖昧なので難しいです。そんなに簡単にマッチョになれないし。だから「好青年らしい」。次男の思春期には日間賀島合宿のテーマとして「かっこいい男の人になる」があって、眉毛を整えることも課題に入っていました。小六でそれに参加した次男は、「海ちゃんは、小学生だからやらなくていい」と言われていたにも関わらず、思いっきり眉毛を落としてしまいました。
まあ、別にいいけどね。特に困んないし。
人はそれぞれに個性があるから、多様性という魔法の言葉で、全てを受け入れようって話になってるけど、世の中そうはうまく行きません。いかにも挙動不審だったら、警戒される。場合によっては通報される。だけど、我が家の次男なんて、完全に挙動が不審じゃなくすることは不可能です。だったら、少しでもその印象を和らげないと。
どんな犯罪だって、加害者が悪い。だから、防衛しなかったことを責められるのは絶対に違う。だけど、対策を練れば防げることがあれば、備えるに越したことはないんです。
そのためには、自分もしくは自身の家族が目指す「らしさ」を利用するのは一つの手だと知っておくのは無駄ではないと思います。
年長男子、最近では、「あけみ先生、じゃんけんしよ」とやってきて、「最初はパー」で、「最初はグー」の園長に勝とう、という目論見が進行しております。容赦無くチョキを出す堀田。勝てば、ガッツポーズ。
一回りして、「最初はグー」で来んのか、変化球なのかの心理戦に移行しているのですがね。
それって、普通にじゃんけんすりゃ良いのでは。