2019.12.10
発達障害を持つ人が主人公の小説は、少ない気がします。
その一方で、映像は多い。マンガは、どうかな。
文章で書くと、特異性が突出してしまうからかもしれません。マンガだと可愛く表現できるけど、リアリティがない分、絵空事になってしまうようにも感じます。
口調や仕草や表情で、主人公の愛すべき点を一気にアピールできるのが映像です。「光とともに‥」(これは原作がマンガですね)「僕の歩く道」「ATARU」と連ドラにも名作が多く生まれています。明言されていないけど、これ、そうだよねってのも入れると、かなりの数になるのではないでしょうか。もちろん、ツジイ先生が監修なさった二宮和也くん主演の「マラソン」もそうです。最近では、「グッド・ドクター」でミスター実写化の山ア賢人が頑張っていました。
長女などは、このドラマを葛藤とともに見ていました。主人公の仕草や喋り方が、とにかく次男に似ているので、ヒールの気持ちがわかってしまうのです。大人の自閉症を描く場合は、お仕事ものになるのが必然ですから、職場でのツンデレキャラは必須です。空気読まない行動にキレる同僚とか。それに対して長女は共感しかない。一際、正義感が強い彼女は、それが辛いのです。
これは奇跡のドラマだったと思います。脚本に欠点があるのに、感動できるんだもん。欠点とは、物語が「たまたま聞こえちゃった」で進んで行くことです。一話に何度も立ち聞きシーンがあって、最高だと一時間で5回くらい、立ち聞きから話が動きます。果ては病児が「たまたま」落とした日記の、あるページを主人公が「たまたま」見てしまって、「誰にも言わないで」の願いを正直に聞き入れてしまうので、虐待の発覚が遅れる(言い換えると、遅れても発見することはできた)という展開もありました。
でも、見ていると心は動くし、主人公に感情移入できるし、障害のある人を理解しなきゃって気持ちになれるんですよ。
さて、先日イタリア映画「トスカーナの幸せレシピ」の試写会に行ってまいりました。これも、発達障害を持つ青年が、料理のコンクールで準優勝する物語です。主人公、としなかったのは、むしろ彼を後押しする激情型のシェフが、物語を引っ張るので、こちらが主体的な中心人物とも見えるからです。
私は、小説家なので、まずは脚本の巧みさに感心しました。発達障害を持つ青年にありがちな問題を、重くしないで描いています。「あるある」を、パズルのようにつないで、一つの物語にしていく流れに、心を掴まれました。青年の自慰行為に関する会話なんて、この話題をここまでお洒落に描けるのか、と唸らされます。イタリア人、恐るべし。
小さい頃は、大変だったけど、大きくなると様々な性癖(過敏や過鈍、常同性への拘り、衝動性等)は穏やかになっていきます。けれど、穏やかになった彼らを待っているのは、社会という予測不能な広い世界。直面する問題は、むしろ大きくなって行きます。今のところ、ありがたいことに我が家の次男は社会人として幸福に過ごしています。でも、これを当たり前だと思わないようにしています。どんな人間だって、明日は何が起こるかわからないものですが、こういう人は特にですから。
そんな社会で、自閉症の青年が作ったカレーを出すお店が豊川にあります。試写会の際、そのお店を作り上げた方とツジイ先生と私がトークショーを行いました。素敵な映画と、心に沁みるお話と。
こういう機会をくれたツジイ先生とアスペ・エルデの会に感謝です。
とシンプルに美しい終わりを私の話がむかえるわけがない。
縁は異なものでして、ほんの数日後、私は豊川で美味しいカレーをぱくついておりました。
幸せな味の物語、来月に続きます。