2019.06.10
 愛想がよく、文字の認識も早かった次男を、私が自閉症ではないかと疑った理由は、言葉の遅れよりも、同年代の子どもに愛着を示さないことでした。公園で、同じ年頃の子が近づいて来ると、長男は吸い寄せられるようにそちらを見たものです。次男は、全く関心を示しませんでした。
 今は、友達大好きです。誰かと一緒にいるのが好きです。アスペ・エルデの会では、社会人グループのイベント情報が共有されていますが、そこに載るイベントにはとりあえず乗っかりたくてたまりません。ところが彼は、名鉄やJRには乗れないんだなあ。行き先も停る駅も違う電車が同じホームに来るんだもの。あと、地図見て道を歩くこともできない。要は、行ったことのあるところにしか行けないのです。だから、参加できない行事も沢山あります。
 彼が、友達好きになったのは、小さい頃から、いろいろな形で周囲の人に、構ってもらっていたからだと思います。言葉はうまく出なくても、自分の働きかけに、笑顔で答えてくれたら、また、遊ぼうって気になりますもんね。

 でも、人がみんな、友達を求めていて、誰かといるのが好きなわけではありません。一人が好きな人もいて、それは子どもだって同じです。
 元気に外遊びして、友達が沢山いる子どもらしい子ども、がどうやら大人の理想形のようです。でも、いじめの首謀者になる子って、そっちのタイプに多いんじゃ、ってのは私の偏見ですね、はい。
 孤独を望んでない子には、友達を作る知恵を大人が授けるのも大事です。でも、一人でいたいんだと言われたら、その気持ちを尊重することも大切だと思います。一番良くないのは「僕はわかっているよ、本当は、友達が欲しいんだよね、素直に本音を言っていいんだよ」とか言い出す人ですね。本音言っていいんなら「消えろ」って言っちゃいますけど。

 私自身、つるまなくていいタイプの人間です。仲のいい友達は、います。でも、めんどくさい人と一緒にいるくらいなら一人がいい。友人の中には、未だに(54歳ですよ。もうすぐ55)一人で外食できない人がいます。お店に入れないだけではなくて、お弁当を一人で広げるのも駄目。一人で外出したら、帰宅するまで何も食べられません。飲む方は、自販機やコンビニで適当に対処できますが。どんな顔して食べたらいいかわからないそうです。こうなると、一人に慣れてる人の方が、大人としては生きて行きやすいですよね。
「便所飯」などという言葉があって、学校で一人、お弁当を食べているところを見られるくらいなら、とトイレでご飯を食べることを言ったのですが、今は多くの大学が一人でもくつろげるコーナーを設けています。私の職場にも、学生控え室という200席の休憩室がありますが、高いカウンターの「ぼっち席」は完備されております。今年、控え室のリニューアルがあるそうで、現在、学生たちにアンケートを取っています。ぼっち席、もっと快適になると思います。きっと、ニーズがあるから。
 ちなみに、ゼミ生たちに「どんな風になったら、いいと思う?」と尋ねてみたら、一位は「レンジが欲しい」、 二位が「携帯充電用のコンセントを増やして欲しい」でした。「仮眠スペースが欲しい」っていうのもありましたね。どうやら、この学年は、ぼっち席のニーズを持っていないようです。

 友達がいた方が安心なのは、実感として、痛いほどわかります。長男は、2年にわたる浪人時代、予備校に行っても、ほとんど誰とも話していなかったようです。だから、友達と夜遅くまでスカイプで話してたりすると、「遅いしうるさいから早よ寝ろ」の前に「友達いて良かった」と思うのが本音です。
 でも、もし、一人が好きな子がいたら、ちゃんと受け入れて、と強く思います。
 そして、時間が経って、「やっぱり友達って必要だよね」と言われたら、「でしょ?」って言ってもらえたらいいなあ。「お母さん、言ったよね、もう、一人で過ごした子ども時代は戻らないんだよ」「だからいったじゃない、今更何言ってんの」じゃなく。
 人は変わるし、やり直せますから。


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