2019.03.10
それでいいよ

堀田あけみ

さて、この形式では最後の回です。
先月は、私が大切だと思う、子育ての3つのキーワードから、2つまで紹介しました。「いつの間にか」と「あなただけじゃない」。
今回は最後の一つです。

「それでいいよ」

誰に何と批判されようと、私は子どもを褒めます。
褒めて欲しいもん。
もちろん、してはいけないことは叱ります。
親だから、首根っこ押さえてでも、させなければいけないこともあります。そうは多くないけどね。
でも基本、あなたは「それでいいよ」。そのままでいていいよ。好きなものは好きでいいよ。

この言葉に行き着いたのは、私が初めて子どもを産んだときでした。
初めての子育てで、私はいつも「それでいいの」と言われてきました。私自身も、これで良いのかわからない中、必死で子育てしているのに、誰も褒めてくれなくて、追い詰められた気持ちになったものです。
待望の子どもを授かって幸せな筈なのに、どうしてこんなに辛いんだろう。
つか、辛くさせんな、周囲。
夫は、赤ん坊が泣いたと言っては、私に落ち度があるからだと怒る。泣くわ、赤ん坊なんだから。
母は、混合栄養を、いつまでも独身貴族を謳歌して、高齢出産したから、母乳が足りないのだと言う。謳歌してねーわ。必死で密かな婚活の苦労を誰ぞ知る。あと、32歳は高齢出産に入らんわ、今は。
かと思えば、義母はそう言う時代の人なので、母乳を嫌う。不衛生だし、ちょうど母乳には母親の摂取したダイオキシンがダイレクトに入ると言った情報が一人歩きしていた時期だったので、危険だと。安全な完全栄養、粉ミルクで育てましょう、とのこと。私の母乳は不衛生ではありません。
「それでいいの」で頭がパンクしそうなときに考えました。じゃあ、私はなんと言って欲しいのだろうか。
「それでいいよ」。
その一言でいいんです。たったそれだけ。
私の存在を、肯定してもらえたら。
でもそれは、こちらから要求できません。要求の末に、と言うことであれば、価値がなくなってしまいます。
高校時代に一度、誕生日を完全に忘れられたことがありました。今日は、誕生日だあ、と帰宅したときに、いつもと変わらない食卓が待っていた結果、ずーっとぐちぐち言っていたら、
「言ってくれたら良かったのに」
 良くないよ。誕生日だからケーキ買っといてねって、小学生じゃないんだよ。
頼まなかったら、祝ってもらえなかったってことかもしれないって思っちゃうじゃない。
それと同じです。待っていても誰も私を認めてくれません。
結婚してからずっと、生活費なんか一円ももらわないで、家事一切やってるのに。
いつも気を遣って、頻繁に帰省したり、手紙書いたりしてるのに。
あなた達みんなが、あんなに欲しがってた、この子を産んであげたのは私なのに。
正論は、常に責める側にあり。
「本当のこと言ってるだけでしょ」
「君のためなのに」
「何、家事頑張ったり、いい嫁したり、子ども産んだりって、褒められる為にしてるの? 浅ましい」
「充分よくしてるでしょ。何が不満なの」

誰も私を褒めてくれない。じゃあ、私が褒める人になろう。
誰も私に味方してくれない。じゃあ、私がなります。頑張るお母さんの味方に。生き辛さを抱えながら、一生懸命生きる子ども達の味方に。
それ以来ずっと、私は「それでいいよ」をキーワードにしてきました。
まず、「それでいいよ」。批判も議論もそれからだ。
うん、必要なら、議論も批判もなんなら説教もするけど、あなたはあなたのままでいる権利を持っていますから。

来月からは、違う形でお会いすることになります。
 コトコが無事に高校進学のチケットを手に入れて(まだ、入試は残っていますが、確実に高校生にはなれる、と言うことで)、私の子育ても一段落しました。
だから、純粋に子育てを応援する人として、情報を発信して行きたいと思います。
今後も、ご縁があればよろしくお願い致します。




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