2023.08.10
 名古屋城の天守閣にエレベーターつけるか問題について訊かれるのが嫌です。
 何かを期待して、訊いてくるのですよね、あちらは。
「みんなが同じ景色を見られるようにして欲しいですよね?」
 なんてあからさまな誘導もする。
 身も蓋もない本音を言うよ。

 いらん。
 いや、積極的に、つけるな。木造にした意味が無い。
 異論は認めるから。

 でも、みんなが同じ景色ってさあ。
 個性を認めろとか、みんな違って、みんな良いとか言ってる人が、なんでみんな一緒になりたがんの?
 見られるわけねえだろ、同じ景色なんて。
 そもそも視覚障害者はどうする。
 高いとこ苦手だったら登れない。お金がなければ入場すらできない。
 あのさ、天守閣に登れなかったら、なんなの? 一生に何回登んの?

 それから、すごく気になることがあって。
 いつも、発言するのは「運動家」の人であって、当事者ではないような。
 自分の承認欲求を満たすために、他者の障害を利用しているのは、あなた達ではないのかな。との懸念が消えない。

 などと考える所以は、私がいろいろと行けないところ、できないことを持つ子ども達を育ててきたからです。それは、障害の有無には関係ありません、ちょっとしか。
 大きな音が苦手だから普通に上映される映画が見られないとか、味覚の幅が狭かったり新しい店に行くのが苦手だったりするから、外食先が限られてしまうとかは、発達障害故の制限だと言って良いでしょう。
 でもね、我が家の行動が制限されるのは、別にいつも当事者である次男が原因ってわけじゃないんですよ。

 お化け屋敷には絶対に入れません。だって、長女が超絶な怖がりだもの。
 それに、今日びのお化け屋敷、マジで怖いですから。メンタルに来る演出するから。その分、お値段もするし。家族で入ろうと思うと結構な出費です。
 子ども達が小さかった夏休み、栄のオアシス21に期間限定のお化け屋敷がありました。確か「ホラーハウスあきら」ってタイトル。うちのお父さんの名前。
 私の夫は「小原玲」という写真家です。「おはられい」と発音します。でも、本名は同じ字で「あきら」と読むんです。
 先日知ったお化け屋敷の鉄則は、入口と出口を隣にすることだそうです。出てくる人の怖がり方で、期待が高まるから。
「ねえ、この中に何があるの?」
 長女が尋ねます。
「説教と自慢を延々とされるの」
 もちろん、これは夫の癖。
 入口近くで、親子連れが揉めています。
「入りたいー」
「駄目、絶対怖くなって途中で出てくるから。もったいない」
 ここは、中の声がオンタイムで聞こえてきます。
「ほら、お兄さんもお姉さんも、あんなに怖がってるよ」
 折りよく、出口から号泣する女性が登場します。
 こういうとこに入りたいって言わない子達で良かった、と思いながら、通り過ぎたのですが、用事を済ませて再度同じ場所を通ったときには、さっきの子が泣きじゃくって、
「だから言ったでしょ!」
 とお母さんから叱られていました。次の年、お化け屋敷のタイトルは「おかん」。
 お化けより怖いって意味でしょうか。喧嘩なら買いますよ。

 絶叫マシンには乗れません。展望台も駄目。長男が高所駄目だから。
 でも、ケースバイケースとも言えるわけで。
 ポケモン大好きな長男は、2005年、愛・地球博に連動して笹島に造られた「ポケパーク」ではジェットコースター乗れたんですよ。「バトルコースター烈空」。レックウザというポケモンの形したコースターです。絶叫というほどではない規模ですが、高所恐怖の8歳児には大きなハードルだったと思います。だって、全てのアトラクションを制覇したら、ここでしか手に入らない景品が貰えたんです、これは乗らないと。
 でも、結局、全てのアトラクションには乗れませんでした。高いところも絶叫マシンも平気なお母さんが、子ども達に付き合っていたのですが、お母さん、ものすごく苦手のものがあって。
 バイキングっていうあれです。船が大きく揺れるやつ。こちらは「アルトマーレの観光船」と言うネーミング。ラティオス、ラティアスの形です。このポケモン、長男の一推しなんです。とは言え、無理なもんは無理。揺れてる間はいいんですよ。すぐに止まらないのが嫌。揺れが徐々に小さくなっていく時間が長いのが、とんでもなく不快なんです、私にとっては。だから、これはいくら我が子のためとは言え、絶対に乗りたくない。子育てしてきて、大概のことは子どものためなら我慢してきました。でも、これだけは本当に駄目です。
「あけみちゃん、行ってあげなよー。これだけなんだよ、あと」
「そんなこと言うなら、玲さん行ってください」
「僕が高いとこ、どんだけ苦手か知ってるでしょ。それも、なんか剥き出しって感じじゃんこれ、無理だよ」
「だったら私も無理ですよ」
 長男に、一人で行けるかと訊くと、もともと高いところ駄目ですから、「無理」と。だったら次男? いや、もっと無理。発達障害の6歳児を、高いとこも乗り物も平気だからって、一人であれはいかん。
 できないことはできない、を学習した夏でした。

 いろんな人がいる限り、自分の主張だけが通るってことはないんです。
 私は、自分でもそうだし、子ども達にも、そんなときには、ちゃんと「腹に収める」ことを教えてきたつもりです。ともすれば、それができない父親を持つ子ども達に。
 父親は自己を主張することを教えました。それは、大事なこと。でも、主張の仕方を間違えると敵を作ります。相手を論破できないこともある。民主主義だから、多数決に負けたらそこで引き下がらなければいけません。
 なかなかそれができない子ども達と共にあるからこそ、まずは大人が収めてみましょう。でないと、子ども達に教えることができませんから。
 私の夫は普通の大人なのに、それができませんでした。
 昭和の人だから、診断されてないけど、彼はA D H Dでした、間違いなく。
 最初に指摘したときは怒ったけど、後に利用するようになりました。
「僕の脳は、確定申告が普通にするようにはできてないんだよ。あけみちゃんがやって」


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