2023.06.10
 障害者の親であるということは、一人っ子でない限り、障害者の同胞の親でもあるということです。アスペ・エルデの会の機能の一つがきょうだいケアです。
 きょうだいに障害があるということは、当事者よりもしんどい生き方かもしれないと常々思ってきました。
 我が家には3歳のときから愛護手帳を持っている知的障害を伴う自閉スペクトラムである次男と、16歳で鬱を発症して10年、「発達障害であると診断して矛盾しない」大学6年生である長男、そして心身ともに頑健な長女がいます。
 長女については、兄二人があんなん、父親が破天荒で超がつく独り善がり、なのに外面が良く妙な信者がついていて、おまけに高3のときに急死、母親が16歳で作家になって、19歳で映画を作って推しに音楽を担当してもらった大学教授(心理学)、というとんでもなく圧のでかい家庭において、ひとつもグレることなく、一浪したとはいえ、自分が一番行きたいと決めた大学に進学するという優等生です。口は悪いです。何を言っても言い返します。それくらいがちょうどいい。 
 若い方はご存知ないと思うのですが、私の作家としてのデビュー作は「1980アイコ十六歳」というタイトルです。映画にもドラマにもなったので、私と同年代ではほとんどの方が聞いたことある、というものでした。ある学生が、レポートの余白に「先生の『愛子16才』読みました」、と書いて愛読者アピールで点を稼ごうとしましたが、本当に読んだのならタイトルが一文字も合っていないわけがないので、無視しました。人前で指摘されなかったことを感謝しして欲しいと思います。母親がこんなんでは、16歳になるのが嫌になっても不思議ではないのですが、彼女は「コトコ十六歳」をネタとして使っていました。
 私には、ネタになるのが一番の親孝行です。三人とも孝行者だよ。

 さて、この末っ子長女は、とても面倒見の良いお姉さんキャラです。
 兄に憧れて4歳で入門した極真空手の道場では、小学校に入り下の子達が増えると、何かとお世話していました。しっかり者で、空手は強くて、でもガーリーで、というキャラは、男子しかいないお母さんのアイドルでした。
「ことちゃん、こんなに小さい子が好きなんだから、お家にも妹か弟がいたら良いのにね」
 と言われると、
「いえ、末っ子、美味しいんで」
 小学校低学年のときから、こんな感じでした。
 それが、高校生になるとどうなるか。
 毎年、夏休みに読書感想文のワークショプを行います。コロナ以来、オンライン開催になりました。対面開催のときは、きょうだいでの参加も多かったです。が、開催する時期が難しい。小中学校は、感想文を8月上旬の登校日に提出させることが多いのです。夏休みの宿題を分散させる目的なんでしょうか。ですから、それに合わせると、7月の最終週がベストです。ここで問題なのが、一方の大学では、前期・後期とも15週間の授業期間を確保することが決められています。これは、4月の第2週に授業を開始して、ゴールデンウィークを休むと、7月の最終週まで入るんですよ。それに試験週間をつけると、8月初旬まで前期は終わりません。
 どういうことかというと、感想文教室を7月中に開催しようとすると、大学生のボランティアさんは試験で忙しくなるんです。娘高一の夏、本人も快諾してくれたので、彼女に感想文教室のお手伝いを頼みました。きょうだいの指導だったら、高校生になった彼女なら、楽勝でこなすと思いました。
 ご存知の通り、発達障害の発症率には大きな性差があります。統計によって差がありますが、少なくとも男子は女子の4倍以上。これには、女子の発達障害は見逃されやすい(注意欠陥型が多く、他害に結びつきにくい)というのもありますが。
 そうなると当然、当事者が男子で、同胞が女子、というパターンが多くなります。我が家がそうであるように。この日も、そうでした。
「一緒に書こうよー。きょうだいじゃないかー」
 お兄ちゃんの誘い(それも、かなりしつこい)を拒絶する妹。
 ここで、ボランティアさんだったら、妹を説得するパターンもあると思います。もちろん、お兄さん・お姉さんと一緒にね、もありますけど。
「駄目。妹には妹の事情がある。お姉ちゃんと書こう」
 と断言できたのは、妹当事者ならではじゃないかと。そこで数人の妹軍団ができて、その日は一日ずっと一緒にいました。

 思えば、妹軍団はずっと前にもできてたなあ。彼女が小学生だった頃です。
 夫はキャンプが好きで、子供が小さい頃は年に10回近く出かけていました。近所のご家族をお誘いすることも多々ありました。次男の特別支援級仲間3家族でロッジに泊まったときには、それぞれに姉妹がいました。うちの娘は一番下。一つ上、二つ上、六つ違いの長男の同級生。
 そのロッジは、我が家のお気に入りで、二階建て。二階には、二つの部屋があり、一つは吹き抜けですが、もう一つにはドアがあって独立していました。そのドアに「リカとコトコだけは自由に入っていいよ。それ以外の人は絶対ノックすること  マヒロ・マリより」という紙が貼られるまで、到着してから、およそ2分。
 うちの長男除く男子どもが、探検気分でずかずかと入って行き、文字通り叩き出されるまで5分足らず。
 ロッジのキャンプは秋と冬。紅葉と雪です。春夏はテント張るから。
 そんなわけで夜は冷える。にも関わらず、女子部屋は締め切り。暖房は一か所にしかないので、これでは暖気が入りません。それから、照明が電球だけで、常夜灯がない。
 真っ暗だから、寒いから、少しドアを開けといて欲しいと申し入れて、絶対嫌、と猛抗議を受ける私。
「トイレ行きたくなったとき、困るよ」
「私が責任持って行かせるから」
 一番上のお姉ちゃんに言われては、駄目だと言って、自尊心傷つけるのはよくないし。
 男子は男子で、だまになって寝てるし。
 お陰で、親はゆっくり飲んで、日付が変わってから布団に入ったのですがね。
「私、初めての場所だから、二人とも絶対一人じゃ寝られないと思ってた」
「うちは、誰か一人は私の布団に入ってくると思ってたなあ」
 まあ、私は小さめのバンガローに泊まったりすると、子ども達それぞれがお気に入りの場所を見つけて拠点にするので、親にくっついてないのには慣れていますが。
 それが寂しいと言うよりも、解放的だと意見は一致しました。母親3人、手足を伸ばして寝ました。誰か、「やっぱりママがいい」って来ちゃうかも、との心配は杞憂も杞憂でした。翌朝、ご飯だよって言うまで、ずっと部屋の中。
 深夜に一度だけ、みんなでトイレに行ったそうです。気づかんかったわ。

 同じ悩みを抱えていても、その本質は様々です。だから、こんなふうにうまくいくとは限りません。ぶつかると、今度は拗れてしまうもの。でも、それはどんな人間関係にも言えることです。
 娘は、大学を受験するにあたって、国立を教育系、私学を国際系にしました。今は京都の私学に通っています。要は、私の後輩になり損ねたわけですが。
 今の楽しそうな様子を聞くにつけ、行くべきところに行ったんだと思います。
「とっても面倒見のいいお姉さんだから、お母さんみたいに教育を仕事にするといいんじゃない?」
 そう言われて曖昧に笑いながら、
「仕事にまではしたくないな」
 と言っていた、中学生くらいの彼女を思い出すと、そう考えざるを得ない。
 あと、私学の合格通知もらってから、結構、勉強してなかったしなあ。
 更には、私の偏愛の対象でもあったから、ここで独り立ちした方が先の為でしょう。 
 主に私の。

 年度明けに、職場で八ツ橋を配りまくって、「うちまでいただいていいんですか」と恐縮された私ですが、それは、京都で娘の引っ越しを手伝った後、一人で新幹線に乗るときに、今まで経験のない寂寥に苛まれて、衝動的にお土産買い倒したからです。もらってください。実家には漬物を送りました。
 ちなみに、配りまくったのは「こたべ」という、一箱400円くらいの小さいおたべです。季節ごとに、箱のデザインが変わって、種類も多いので、これから手土産として重宝しそうです。



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