2018.09.10
一人飯で一人前

堀田あけみ

マナトも大学生になりまして、心理学の授業も受けております。
子どもの頃から身近にあって、自分もお世話になったもので、ずっとわかったようなわからんような存在だったと思います。ようやく正体が、ちょっとわかったようです。
前期の最後の授業は、特別講師のカウンセラーさんが登壇されたそうです。しかし、そこで話された内容に違和を覚えたと。
「同じ食べ物でも、環境によって味の感じ方が違う。一人で食べるより、みんなで食べた方が美味しく感じる」
とのことですが、彼はずっと、昼ご飯を一人で食べる子でした。今もそうです。
「昼飯ぐらい、一人で食いたいって思うのは変?」
「いや。おかあさんもそうだから」
一人にこだわるわけではなく、誘われたら一緒に行きます。でも、誰かと一緒じゃないと無理、とかはありません。気の合わない人と食べるんだったら、一人の方がいいし、それを恥ずかしいとも怖いとも思いません。マナトも
「昼飯のときに、連れが言っとったんだけど」
のような話をするので、似たようなタイプではないかと。
普段の私は、女子だけのコミュニティにいるせいなのか、大学生の世代の「独り」に対する恐怖を、強く感じることがあります。孤独は恥ずかしいことで、それを他人に見られるのは、怖いのです。いわゆる「リア充」(リアルが充実している人)やら、「スクールカースト」(学校社会における身分。今は小学校高学年から、普通に使う単語)が上の人ほど、その傾向が強いように思います。
一人でご飯食べてるの見られるくらいなら、ご飯抜くわ。
なんなら、便所で食べるわ。
私の勤める大学は、学部ごとに校舎が分かれています。私の学部は、一学年 200 名。学部棟には 200 名分の席を備えた「学生控え室」と呼ばれる大きな部屋があります。学生達は、そこで勉強したり、ごはん食べたり、おやつにしたりしています。ほとんどの席は、みんなで囲めるものですが、壁を向いたカウンター席もあります。椅子も高くて、孤高の人という雰囲気がありますね。
友達と一緒じゃなくても大丈夫、ということです。便所行かなくていいから、ここでご飯食べやあ。
冗談じゃないんです。「便所飯」って言葉まであります。
もちろん、小さいうちは、しっかりとみんなでご飯を食べて欲しいです。事情はいろいろなので、絶対に、とはいえませんが。そして、一人で食べるのは寂しいなあ、という感覚も持って欲しいです。でも、成長するに連れて、一人で何かをしなければいけないことは増えていき、それができないと行動範囲も狭くなるのです。
私の友人で、未だに一人で外食も外泊もできない人がいます。高校時代からの仲良しグループの一人なのですが。もういい年になってるどころか、そろそろ亡くなる人まで出ている年頃ですわ。一人で泊まれないのは(お昼寝は一人でも大丈夫)「怖いから」、一人で食べられないのは「どうしたらいいのかわからないから」。注文してからご飯が届くまでの間、何を見て、何をしていたら不自然ではないのかわからないから。今だったら、スマホ見てるんじゃいけないのかしら。大阪に住んでいて、一人息子はすでに独立(因みに、このときも大騒ぎでした。なんで出てくのって。そりゃ、家から通えない所に就職したからだよ)。旦那さんが出張するときには、名古屋の自宅に帰ります。考えるだに不自由です。
だからと言って、欧米式に早くから子どもを独立させる必要はないと思います。むしろ、子どもの時代に、一杯一緒にいて、一緒に食べて、寄り添って眠ることで、お腹いっぱいになって、互いに離れることができるんじゃないかと。
私は毎日、ご飯を作るのに一生懸命です。料理を作ることが好きだったことに感謝してます。
そして、毎日、みんなのご飯を作ることができるってことにも。
母の作ったご飯をたくさん食べて、一人分の料理を作り続ける日を送ってきたからこそ。




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