2018.03.10
風物詩
堀田あけみ
私は大学で「エッセイ創作」という授業を受け持っています。先日、「是非ともお勧めしたい!」というテーマで作品を作ってもらいました。美味しいチョコレートをテーマにした作品に秀逸な表現がありました。
「新垣結衣のちょっと微妙な音程の歌がテレビから聞こえたら、もうそんな季節かとスーパーに走る。」
冬季限定、「メルティキッス」のCMですね。既に風物詩です。女優さんが変わっても、歌は変わらない気がします。だって、CMソングだけで、わざわざ買いに走らせちゃう効果があるんですよ。
秀逸なのは、商品名を直接出していない点です。出さなくても、ほとんどの人にわかるものを選択する目が、いいんです。これが、多くの人にわからないものだと、よくない文の例になってしまいますね。
メルティキッスは好きだけど、スーパーに走るほどではない私にとって、風物詩となり得るCMは、「チャレンジ1年生」と「小学1年生 入学準備号」です。これが流れると(結構早くからやってます)、
「ああ、入学準備の季節だわ」
と思います。「入学の季節」ではないのがポイント。入学式なんて、数時間で終わっちゃいますからね。どきどきわくわく、待っている長い時間を楽しまないと損します。それから、ランドセルのCMはずっとやってる気がして、ランドセルも最近は早くに買うらしいし、あまりイベント感はありません。
そうだ、うちも入学準備しなきゃ、から、大きくなったんだなあという感慨、これから一緒に学校生活を始めるんだという期待、毎年、飽きもせずに思い出します。
お世話になったのは「チャレンジ」の方でしたが、これは専ら勉強のためなので、一緒に楽しんだのは雑誌の「小学1年生」です。ちょっと大きな付録が付いてて、楽しめるものなので。
子どもにとって、小学校は未知の場所なんですが、実は親にとっても同様で、昔の学校とは違うのです。一緒に知って行くのが、楽しかったり、なんだかな、だったり。私にとっての、なんだかな、は、学校が明るくて綺麗すぎることでした。自分は田舎で育って、子どもを都会で育てたことも影響していると思います。学校って、トイレがちょっと暗かったり、理科室に正体不明の標本があったりして、雨の降る日は近づきたくなかったりする場所がありました。そういった闇は、一つの魅力でもあって。それがないなって。でも、子ども達は謎が存在し得ない空間でも、元気に学校の怪談を語り継いでいます。
風物詩とは、身体感覚として身についていくものでした。それが、今はメディアによって作られるものになっています。その結果、私たちは昔は食べなかった恵方巻きや、かつては普通の日だったハロウィンを、今は日常に組み入れているのです。
過剰に乗せられるつもりはありませんが、お付き合いしてもいいかなと思っています。メディアの悪ノリのおかげで、子どもの頃からの風物詩も、忘れずに済んでるところがあるので。七草粥とか、柚子湯とか、お月見とか。そういった行事の由来を子ども達と確認しながら楽しむのは良いものです。個人的には、和菓子の「たねや」さんが行事に合わせて展開する期日限定のお菓子が、日本の四季を味わうには有効だと思っています。美味しくて綺麗で、お値段もたまに楽しむには良い感じです。
それから、確実に肌で感じ取って作られた、新たな風物詩もあります。
今、学校にはピロティという場所があるんですね。すべての学校にあるわけではないと思いますが、よく聞く単語になりました。私の世代だと「土間」なのかな。カイトの通っていた小学校では、このピロティにカイトがべたーっと張り付くように寝そべると、夏が来たと言われていたそうです。立派な風物詩です。風通しがよくて、床の部分もひんやりしている、学校で一番涼しい場所だったのでしょう。きっと「もうカイちゃんたら」と言われていたんでしょう。でも本音では自分でもできたらいいな、と感じた人もいたんじゃないかと思います。多分、ものすごく気持ちいい。
子どもと一緒に季節を味わうのは、子育ての楽しみの一つです。やりすぎない程度に、取り入れていきたいものです。
やりすぎっていうのは、ハロウィンで子どもに凝りすぎた仮装させたり、バレンタインデーに幼稚園中の男子にチョコレート配ったり。要は周囲が退くようなことをしない。
自分が楽しければいい?
やっぱり、子どもが小さい間は、子どもが楽しめることを優先しましょう。
うちの子が通っていた幼稚園では、バレンタインデーにお母さんの叱咤が飛ぶことがありました。
「早くチョコ渡してらっしゃい! 他の子に負けちゃうよ!」
泣きながらチョコあげるのは辛いですもん。
あ、貰う側は、くれる子が泣いてても特に気にしないと思います。チョコ食べられたら。男子幼稚園児は、そんなもの。