2017.12.10
           きれいで元気
                            堀田あけみ

 子どもの頃は、たいして好きじゃなかった記憶があります。お風呂。嫌いでもないんだけど。まあ、義務だから入ると。
 年に一回、納屋橋にあった「温泉パレス」という施設に行くのが楽しみだった記憶はあります。家族の外出時にも、多くは留守番に回っていた祖母に連れて行ってもらうのは夏休み。いつもの赤い名鉄バスは途中の名古屋駅までしかいかないので、ちょっと歩いて名古屋市営バスに乗りました。モスグリーンのバスは、名古屋駅を通り抜けて、普段行かない広小路通を走ります。納屋橋東のバス停で降りました。いろいろなお風呂があって、お風呂上りには、お座敷でショーを見ながらお子様ランチを食べて、おばあちゃんにお小遣いをもらってゲームして。とびきりの娯楽だったんだけど、こちらのメインの目的は、お子様ランチや、年に一度しか目にしない、豆電球がちかちかするゲーム機で。何より、バスでいつもは行かないところに行く非日常感で。風呂ではなかったと思います。
 一人暮らしをしていたときには、バスオイルやバブル、変わったシャンプーやボディソープ、マカロンみたいな可愛いスポンジ、お風呂には素敵なものがいっぱいありました。でも、お風呂が好きというより、お洒落な雑貨が好きだったんだと思います。
 今の私は、大きなお風呂が大好きです。旅行に行くなら、一泊は温泉のあるところに泊まりたい。休日に、スーパー銭湯に行けたら大満足。なんなら、平日でもいいですけど。いつからこうなったのやら。

 私達の世代は、公衆浴場が苦手だったんじゃないかと思います。修学旅行で、水着着て風呂に入んなと、しおりに書かれた経験がある人もいるんじゃないでしょうか。今考えると、不衛生この上ないことです。そりゃ禁止もするわ。それに、なんでそんなに人前で裸になるのが嫌だったんだか。そんな青春時代を経て、私も長いこと、風呂は一人で入るものと決めていました。
 それが崩したのが結婚というわけでして。なにぶん、おとうさんはマンションの風呂では小さすぎるので、スーパー銭湯が大好き。それも、名古屋には黄金風呂があると聞いて、早々に行くことになりました。今はスパガーラになってる、かつてのラッキー健康ランドです。
 久しぶりの大きなお風呂は、とてつもなく開放的で、いろんなお風呂を渡り歩いて、小さい頃の温泉パレスを思い出しました。また、おとうさんの生家は群馬にあるので、帰省すると家でお風呂を使わず、町営の温泉施設に行くのです。 
 そんな風に、お風呂大好きになったのに、ゆっくり入れなくなったのは、子どものペースに合わせる必要ができたから。小さい子は、そうそう長いこと入りたがりませんもんね。
 それに、子どもにとって一番気持ちがいいのは自宅のお風呂のはずです。だって、子どものいる家のお風呂って、絶対玩具がありません? ゴムのあひるは定番として、 ひもを引っ張るとぷるぷる泳ぐいるかとか、金魚すくいのセットとか、くれよんせっけんとか。
 いつもそんなお風呂で楽しんでたら、大人がいっぱいいるだけのお風呂なんて、つまんなくて入ってられませんよ。
 
 子どもとお風呂の深い関係は、子どもの歌にも、沢山お風呂が出てくるところにも、表れてるんじゃないかと思います。主に「おかあさんといっしょ」で歌われてたものですが、お風呂が楽しいとか、お魚になっちゃうとか、バスタオルが気持ちいいとか。
 私が好きだったのは、「お風呂好きな子 きれいで元気」で始まる歌。「きれいで元気」って断言する、潔さがいいんです。そう言われたら、お風呂入らずにはいられないじゃないですか。
 お風呂上がりの子どもって、ほんわりしてて、可愛いし。
 でも、赤ちゃんがいるとき、一人でお風呂入れて自分も洗うのって大変っていうか、ほぼ不可能でしたよね。
 カイトは、おじいちゃんとのお風呂が大好きで、おじいちゃんが入れると大喜びしたから、結果的に、すごいおじいちゃん子になりました。

 今は、銭湯に行ったら、好きなペースで動けます。コトコと一緒に、ジャグジーにゆっくり浸かって、お喋りしたりできます。一年に一度の楽しみだった大きなお風呂は、日常の小さな幸せになりました。
 私の家族は、一見、平凡そうに見えて、実際私達姉妹にとっては平凡な家庭だったのですが、一代上には、父が貰いっ子で祖母とは血のつながりがないとか、生母や実の兄弟とも普通に行き来しているとか、祖父がアメリカに行ったきり戻ってこないとか、いろいろ抱えておりました。
 ゆっくり温泉に浸かるとき、私と姉だけを連れて行った祖母と、私はもう同じくらいの年になっています。そのときの祖母の気持ちを私が知る術はなく、推測するしかなく。
 大きくなった男の子を引き取って、その子が成長してお嫁さんが来て、という生活をしていた祖母にとって、私と姉だけが、生まれたときから知っている「家族」だったんだな、と。



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