2017.07.10
柄にもなく、年齢の話
堀田あけみ
私は、ツジイ先生とは大学の同期です。
と言うと沸き起こる「おお〜」というどよめきの意味はなんなのでしょう。
年を取ることは悪いことじゃない、が持論です。むしろ、取りたかった。童顔のくせに、17歳から大人に混じって仕事してたから、早く高校生とか、大学生とか、最年少とかの、余分なものをとっぱらいたかったのです。
低い声で話すとか、大股で歩くとか、背筋を伸ばして食事を摂るとか、気を使ってきました。
そして、今やどっから見ても立派なおかんどす。そこに落とし穴があるかもしれません。
先日、娘に言われました。
「おかあさん、只でさえ子どもっぽいんだから」
え? どこが?
私は、こんなに頑張って大人の女を演じてきたというのに。
しかし現実は、実年齢が上がった油断に加えて、婆さになると、猫背になったり、素っ頓狂な声が出たりと、子どもっぽいこともしがちなんですわな、逆に。
今年も、オハラ家にとっては鬼門中の鬼門、家庭訪問が過ぎました。近年は、玄関先だけで済ますのがトレンドとはいえ、マナトとカイトの時代、勉強部屋チェックがありました。そもそも、勉強部屋ないですやん、うち。おとうさんの作業机を勉強机に偽装しました。もう時効です。きっと。
しかし、コトコの時代になって、玄関先のみに。もしかしたら、ほんとは、机のチェックもしたいんだけど、毎年、4月の保護者会で、
「家庭訪問は、玄関ですか、家の中まで入りますか?」
と、目が据わった状態で尋ねる私に、先生がびびっておられるのかもしれません。
ここんとこ、私はコトコの担任の先生には、怖がられてるような気がして仕方がない。
「考えすぎだよねー」
「怖がられとるんちゃう?」
「なんで、普通のおかんオーラびんびんやん。むしろ、学校で教授に見えない案件続出ですがな」
「ぱっと見はね。話せば話すほど、只者ではない感じ出るから」
まあ、若い先生なら、普通に緊張するわな、ふた回り以上 、年上の保護者って。一方、コトコが自分史上最高の担任と認める定年間近の先生とは、本当に気が合いました。中村吉右衛門の話で、女子のように盛り上がりました。
「背中がいいんですよね」
「背中がねえ」
四六時中、子供と向き合う生活をしてると、自分の年齢のことを忘れてしまうのかもしれません。ふと、自分の時間ができてみると、あ、私は自覚しているよりも、年を重ねているのかもしれないと思う。
今の大学生にとって、「昭和」は年表の上に存在する「時代」です。現実に流れた時間ではないのです。オイルショック、バブル、既に歴史になりました。
「クリスマスに彼氏が、薔薇の花束とティファニー持って、ディナーのお迎えに来るなんて、都市伝説ですよね」
現実でしたわあ。姉が花屋なんで、独身だったし、一日中、お手伝いしてましたよ。
当時、名古屋大学教育心理学科では、「知育・徳育・体育」をすべてフォローすべしとされていて、知育は普段の授業、体育は遠足(係になると憂鬱でした。準備も当日も大変)、徳育は12月24日(卒論の締め切り日)の大掃除と打ち上げ、となっていました。問答無用の全員参加。特に大学院生は。
「イヴにそんなことするなんて!」
という当時の狂ったような怒りは、多分今の時代には、それほどないでしょうな。
というか、その文化を支えていたのは、うちの大学の学生たちだったのでは、と思うわけで。
あ、なんか、時代を知っている人になってきたかと感じます。
ところで、先日、コトコが溜息をついていました。
「まだ中学生なのに、前の時代に生まれた人になっちゃうんだ」
天皇陛下の退位のニュースを受けてのことです。私も、自分が上皇を目撃することになるとは思っていませんでした。
私が子どもの頃は、家族全員昭和生まれが、当然でしたものね。
ああ。そうか私は3つの時代を生きた人になるのか。
ただね、負け惜しみでもなんでもなく、私、若い頃の自分より、 今の自分の方が好きです。若い私は、ばかで向こう見ずで、根拠の無い自信を元に行動して。そりゃ、体力と感性はあったけど。お金も時間もあったけど。可愛かったけど(今と比べりゃ)。
孤独で不安でした。
あ、あとメンタル弱かったな。度重なる苦労が、鋼のメンタルを鍛え上げました。
そんな時代に、先は見えないけど頑張って今がある。
若い頃の頑張りは人生を折り返す頃に返ってくるよと、子ども達に教えられる人生を歩んできたことはできているな、と思います。